日本画家の山口 晃はニコニコで「かつて静物画って聖書のモチーフが入ってればあとは何描いても赦されたんですよ」と語っている。逆に言えば聖書のモチーフが入ってない場合絵の価値が揺らいだことにもなるが、山口の言うことに沿うならば、聖書のモチーフ入りという"言い訳"(山口の言い方ママ)さえあれば、そのルールにさえ則っていればなに描いても赦されたという話らしい。
なぜそんな話になるのかといえば、かつて油絵の世界では卑俗な民衆を描くことはタブーというより常識的な振る舞いではなかったから。故に印象派などが大量にポートレイトを描いていた事自体、古典派からすれば大変奇異に映ったに違いない。かつて油絵といえば王侯貴族やそれこそ聖書のモチーフの世界観しかなかった。
今で言う萌え絵はキャラクターという聖典を基準値にして、大きく解釈がズレない限りは赦されて評価される。いわばかつての油画のような文化がある。多分浮世絵なども同じような洗礼の中にあったんじゃないのか。
少なくともみんなの注目を集める絵とはそういうものである。
日本画家の山口 晃はニコニコで「かつて静物画って聖書のモチーフが入ってればあとは何描いても赦されたんですよ」と語っている。逆に言えば聖書のモチーフが入ってない場合絵の価...
えっちな絵描きたい! えっちな絵見たい! このニーズは必ずマッチする。