本当に生きづらそうと思うなら本来同情して寄り添うような行動をとるべきなのである。
しかし実際は、「お前は普通じゃない。アブノーマルなお前は邪魔、愚か」という中傷である場合が多い。そのため寄り添うような言動は見られず、できるだけ婉曲に相手を貶し続ける。
それが咎められても「いや、ただの感想だし」「同情しただけ」と逃げる。それどころか「そう受けとるということは~」と追い中傷までするのである。
それなら「お前嫌い、死ね××(差別用語が入る)」の方がよっぽど正直であり健全である。
結局相手に直って欲しいとかそういうことはなく、ただ自分が攻撃されないようにうまく相手の心が傷つく攻撃をできれば良いのである。
そんなことを容認しながら、一部の言葉だけマルキンワードにして「それを言ったら終わり」とする世の中は絶対に間違っている。
監視が不可能だから真の悪人は容認し悪人らしきものを吊るす今の世の中は、コミュニケーションに乗っ取られた人間の末路だ。情報化社会は、今の万倍は成長しなければならない。「できる」の追求からそろそろシフトチェンジしなければならない。