2020-06-14

突っ込まない漫才というのは突っ込む漫才があるから成り立っている

普通だったら突っ込んでいるところで突っ込まない」というのが面白ポイントであって、

「いや○○な人がいたっていい!」というツッコミを聴いた視聴者の頭の中には当然、「いや○○なんかい!」が念頭にあるわけだ。

たとえば漫才というものが一切存在しない世界で初めて漫才としてあれをやっても全く面白くはならない。

突っ込まない漫才とか誰も傷つけない漫才といっても結局ゴーストな「ツッコミ」を使っている。

まり漫才メタ化が進んでいるのだ。

そもそも笑いというもの自体が、「普通はこうだけど、そうじゃない」という「期待の裏切りから出てくるもので、

従来の漫才だってそれをベースにしている。

それを散々使い古した漫才という文化が今度は「普通漫才なら突っ込むけど、突っ込まない」という裏切りを仕掛けてくるのは自然なことだ。

仮に今後ぺこぱが、漫才トークの中で「いや○○なんかい!」と普通に突っ込んでしまったらそれはそれで笑いが起きるだろう。

だがそれは従来の「○○なんかい!」と同じ笑いではありえない。

普通なら突っ込むところをこの人なら突っ込まないという裏切りを期待していたところそれをさら裏切られる」という笑いだ。

笑いという原始的感情の動きであってもこんなにハイコンテクストになりうる。人間の全ては文脈だ。

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