「普通だったら突っ込んでいるところで突っ込まない」というのが面白ポイントであって、
「いや○○な人がいたっていい!」というツッコミを聴いた視聴者の頭の中には当然、「いや○○なんかい!」が念頭にあるわけだ。
たとえば漫才というものが一切存在しない世界で初めての漫才としてあれをやっても全く面白くはならない。
突っ込まない漫才とか誰も傷つけない漫才といっても結局ゴーストな「ツッコミ」を使っている。
そもそも笑いというもの自体が、「普通はこうだけど、そうじゃない」という「期待の裏切り」から出てくるもので、
それを散々使い古した漫才という文化が今度は「普通の漫才なら突っ込むけど、突っ込まない」という裏切りを仕掛けてくるのは自然なことだ。
仮に今後ぺこぱが、漫才やトークの中で「いや○○なんかい!」と普通に突っ込んでしまったらそれはそれで笑いが起きるだろう。
だがそれは従来の「○○なんかい!」と同じ笑いではありえない。
漫才のメタル化はまだないよね