アートなんて高度なものじゃないんですよ。これは既に我々のファッションであり、文化なんです。着たい服を着ることに、他人からケチをつけられる筋合いはない。
献血ポスターについてはこれまでもこれからも「様々な層」へ向けての呼びかけを行うでしょう。それはその都度「訴えたい層」の文化とファッションに寄り添ったものになるでしょう。それは必ずしも「全ての人」を対象とするわけではない。「我々に向けた≒我々の文化とファッションに寄り添った広告」を批難するということは、我々の文化とファッションを批難することと同じです。
例えば、「異性装をした男性」の写真を広告に使用したらどうでしょうか。そして、(現実にも容易に予想されますが、)それが「公共に相応しくない」と批難されたら、我々はどう対応すべきでしょうか。「個人で着るのは自由だが、ゾーニングはすべき」として、広告の取り下げを支持すべきなのでしょうか。それは、そうした装束にgender expressionとしての重要な意味を持つ人々のアイデンティティを侮辱する行為ではないのでしょうか。
この人はポスター擁護派のなかでも若干浮いている感は否めない。