久しぶりに実家に帰ったら「かにた婦人の村」の封筒があった。母親が昔から少額の寄付を続けていることは知っていたが、父親が亡くなった後も少ない年金から毎月の生活費をやり繰りして支援を続けているらしい。
母親は右翼的な思想を公言する父親を否定することは一度も無かったけれど、この季節になると戦争に関わる本を近所の図書館から借りてきたり、先日も深夜に放送された広島の映画の録画を頼まれたりもした。
「かにた婦人の村」は今でもネットでの断片的な情報や、沢木耕太郎の「人の砂漠」を読んで何となく想像している程度でしかないが、母親にとっては生涯をかけて支援し続ける程の場所なのだと思う。
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