2019-05-13

anond:20190513101820

動作名詞」というものがある。

その名詞に「する」を付けると動詞になるやつだ。

例を挙げれば「落馬する」「報告する」「希望する」などがあり、

これで言うと「報告を告げる」「希望を望む」は違和感がある。

ただし動作名詞かどうかは明確なものではなく、わりと感覚によって左右されるようだ。

たとえば「旅行に行く」はそれほど違和感がないのではないか

旅行」について、「旅行する」という動作名詞と捉えるか、

「旅」そのものを表す普通名詞と捉えるかで変わってくるように思える。

しかしこの説明でいくと「頭痛」は動作名詞ではない。

頭痛する」という表現も無いではないが一般的ではないだろう。

単純に捉えると「頭痛」は「頭の痛み」という意味なので、

「頭が頭痛=頭に頭の痛みがある」や「頭痛が痛い=頭の痛みが痛い」とすると確かに違和感がある。

ただし、「頭痛」を明確な病名と見なすなら、「頭痛で頭が痛い」は「風邪で喉が痛い」などと同種の言い回しと考えることもできるだろう。

たとえば「頭痛」の具体度を高めて「群発頭痛」とすれば、「群発頭痛で頭が割れるように痛い」といった表現はそこまでおかしくはない。

頭痛」を「頭が痛む」という動作として捉えるか、「頭が痛む病気」という名詞として捉えるか、というところだろうか。

離乳食」は「乳離れするとき食べ物」という意味で、これ自体に「離乳食を食べる」という動作的な意味はない。

演歌」も「演説するときの歌」という意味で、これ自体に「演歌を歌う」という動作的な意味はない。

「離乳」「演説」は動作名詞なので「乳から離乳」や「演説を説く」などは違和感があるだろうが、

そこに「食」「歌」がつくことで動作名詞ではなくなっているというのが興味深い。

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