むしろ私は男性だから、「男性差別に対する無関心」はそれほど気にならなかった。フェミニズムと銘を打っている以上、「女性」以外の性への配慮は隣接領域でしかないのだから、男性差別を積極的に語る義務はフェミニズムにないだろう。
私がフェミニズムに不信感を抱いたのは、多くのフェミニストが、女性を守る気などさらさらないように見えたからである。
彼らが守りたいのは「フェミニズム」という看板でしかないのではないか。
「すべての女性のため」を掲げる時、真に目を向けているのは女性の中でもマイノリティとされる人々だと私はずっと思っていた。フェミニズムがマジョリティ女性のためにあるなんて当たり前の前提として。
しかし、フェミニストはどうやらこの「すべての女性のため」という言葉を、「だからマジョリティ女性のためにこそ」という解釈で用いているように見える。
私は、マジョリティ女性に寄り添うこともマイノリティ女性に寄り添うことも両立すると思っているし、どちらかを否定するようなことはしたくはない。
しかし、どちらが「より」差別されているかと言えば、明らかに後者だと考えている。故に、マイノリティを語る言葉をマジョリティが簒奪することはあってはならないし、許されないと思う。
ところがフェミニズムが目指すところは結局「マジョリティ女性の解放」であり、マイノリティ女性は「おまけ」(下手をすれば「踏み台」)くらいにしか扱われていないのではないか。
少なくとも私はそう感じた。
マジョリティよりもマイノリティに味方をしたい私にとって、フェミニズムを理想の在り方として信奉する気にはなれない。
私は今でも女性差別には反対だけど、その活動はフェミニズムという論壇を借りなくとも可能だ。人類はそろそろフェミニズムを捨てる時期が来たんじゃないだろうか。
そもそも「フェミニズム」という言葉自体が差別的だという指摘は以前からあった。いずれ廃れる言葉だとは思っていたけど、今がその時なのではないか。