その話は、架空日本で少年が内戦を戦い切る話である。彼は内戦の最後のしかし最早する必要のない攻囲戦でずっと闘ってきた信頼できるオトナを、終戦後なおアテのないゲリラに身を投じた親友を、そして戦傷が成長とともに悪化し片足の自由を喪う。戦傷者への恩給でデラシネの暮らしを送る彼は、それでも内戦となった県内に居場所を見つけた戦友(彼も大人ではある)の一人と年賀状のやり取りだけは欠かさない。なるほどそういうものか、と増田少年は思ったが、その時はそのような者はいなかった。義理も友もそれほど抱えていなかったのである。
増田も相応に年を取り、数人賀状のやり取りだけをする者がいる。取り立てて書くこともない。今年は呑もう的なことを書いていた時期もあったがそれもまた白々しかろう。白状すれば、添える一言も数人分は使いまわされるのである。どうせ彼らが答えを突き合わせることはないのだ。
今年もプリンターから賀状が吐き出されると、あの一節を思い出す。そして、それにとにかく一言を書く義務感と若干の感傷を奮い立たせる。