宮廷道化師は王を楽しませるエンターティナーであり、また愚かであるが故に王に直言できる存在であった。
スタンチクも、実際には政治に通じた賢人であり、しばしば気の利いた風刺を発した。
彼は三代の王に仕えたが、この時代のポーランドは、外ではモスクワ大公国やドイツ騎士団、オスマン帝国などと戦い続け、
内ではシュラフタ(貴族)が力をつけて王権を脅かすなど苦難に晒されており、
スタンチクがそれらを憂慮する逸話やその場面を描いた絵画が多く残されている。
狩りのために檻から出した熊が王たちを襲った事件を、プロイセンの臣従にたとえて王を嘲笑したという逸話が特に有名である。
はいはい低能先生の祖先ね