天つゆのような少し甘めの出汁で食べるかき揚げうどんや蕎麦が旨いと思うのだ。
そして立体的なかき揚げは、氷山のように出汁の外に出ているプレーンな部分のサクサク感と、少し出汁に浸かった部分のサクとろ感、そしてしっかり出汁に浸かってもはやトロっトロになったぐじゅぐじゅ感が奏でる絶妙なハーモニーは、至高の幸福感をもたらしてくれるのだ。
食べ始めは無論七味唐辛子を入れない。
初期状態のまま食べるのだ。
かき揚げは出汁に浸からなければ話にならないが、浸かり過ぎてもダメだ。
そして食べ進めるうちに状態は変化してゆき、前述の三態が偶然にも最高の比率で揃いグラデーションが織り成された瞬間に七味唐辛子を投入することで僥倖が訪れる。
七味唐辛子の量は「その時どう思ったか?」だけを基準に決定されるものであるべきなのだ。
迷いにより僥倖を逃すことは、なんと言う不幸であろうか。
意識してはならない。
集中すべきは「食べること」ただ一点である。
その上で瞬間的に現れる絶好のチャンスを逃すことも許されない。
そしてその好機がこの世界に顕になった瞬間、すでに数秒先の未来は脳裏に浮かんでいるはずである。
すなわち、ほのかな香りと味わいを求めているのか、多めの刺激が必要なのか、あるいは挑戦とも言える程度の辛さを欲しているのか、それは事前に決まっていることである。
従うことでのみ、その先にある幸福をも手に入れることができるのである。
あたかも瞬間は偶然であるかのように述べたが、実は必然である。
「瞬間」は必ず訪れる。
逃すな、諦めるな。