差別は無知から生じる。差別意識という言葉は逆説的で、差別意識を自覚した時点で差別意識はほとんど終わっている。無知から生じ、無意識のうちに行うのが差別だ。もっとも、明白な憎悪に基づく差別などは、この限りではないだろうが。
さてミスコンだが、女性差別や容姿差別の温床だと思っているはてなーも多いだろうが、ミスコン自体は差別呼ばわりすべきでない。学力テストや各種の競技大会やコンテストそれ自体が差別でないのと同じだ。差別の問題は、それらのコンテスト、大会、テストなどの結果を別の場所での取り扱いに反映させる際に初めて生じうる。
たとえば大学の入学試験や授業料でミスコン入賞者を優遇したら、差別かもしれない。そのばあい、問題はその大学にあるのであって、ミスコンにはない。
しかし、それ自体が差別でないからと言って、それが差別を助長していないとは言えない。
むしろ逆だろう。ミスコンのようなものをなくして行ったら、容姿差別や女性差別を自覚する機会が減り、差別意識が生きながらえる機会が増える。
ミスコンは、女性は容姿で評価され、人は美しければちやほやされ賞賛されるのだということを、他に付随する何かとしてではなく、それ自体としてデモンストレーションする限られた機会のうちの一つである。