2018-06-24

差別をなくしたいならミスコンはやめるべきではない

差別無知から生じる。差別意識という言葉は逆説的で、差別意識を自覚した時点で差別意識はほとんど終わっている。無知から生じ、無意識のうちに行うのが差別だ。もっとも、明白な憎悪に基づく差別などは、この限りではないだろうが。

さてミスコンだが、女性差別容姿差別の温床だと思っているはてなーも多いだろうが、ミスコン自体差別呼ばわりすべきでない。学力テストや各種の競技大会コンテストそれ自体差別でないのと同じだ。差別問題は、それらのコンテスト大会テストなどの結果を別の場所での取り扱いに反映させる際に初めて生じうる。

たとえば大学入学試験授業料ミスコン入賞者を優遇したら、差別かもしれない。そのばあい問題はその大学にあるのであって、ミスコンにはない。

しかし、それ自体差別でないからと言って、それが差別助長していないとは言えない。

ミスコン女性差別容姿差別助長しているか

しろ逆だろう。ミスコンのようなものをなくして行ったら、容姿差別女性差別自覚する機会が減り、差別意識が生きながらえる機会が増える。

ミスコンは、女性容姿評価され、人は美しければちやほやされ賞賛されるのだということを、他に付随する何かとしてではなく、それ自体としてデモンストレーションする限られた機会のうちの一つである

差別をなくしていくために、ミスコン廃止すべきではない。

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