西部邁はもうこんな国嫌だとか自分の人生は無駄だと嘆いて入水自殺した。
言論人だから、何か行動で訴えないから、無駄になってしまったという面もあるが、
選挙の時期をずらしてこの時期を選んだというのが本当であれば、迷惑をかけないで死ぬという選択が自殺だったという事なのだろう。
しかし、仮にそうだとすると、自らの論を死ぬ気で張れない人であり、また、人に迷惑をかけない程度の言論は無駄に終わるというようなものだ。
人に死んででも成し遂げろというのは特攻を想起するし、やるべきではない。特にまだ先の長い若い人はそうであると思う。しかし、仮に一秒後に死ぬ人であれば、十分生きる時間は変わらないとして、自爆テロでも死亡率が高い偉業でもやってもいいのかなぁと思ったりもする。
どう死期を悟るかだが、
死に至る主因を財力や体力の条件下で排除する努力をすれば、どの程度の時間が残されているかは本人も体感で分かると思う。これが見積もれればそれに向かって体とかがいつまで動くかとかを考え計画を仕込めるだろう。場合によっては数ヶ月とかでなく、数十年前から計画する事だって可能だ。 もちろん、一秒さえ惜しいというなら心停止になったら起動すると言った仕掛けも準備できる、はず。
そう、考えているとイスラム原理主義者が自爆テロで死んでいく人や特攻した人って死期の見積もりの主因が狂ってるよなと思うなあ。