人種的・性的マイノリティの権利向上を認めるには、「あいつらも俺たちと同じ国民だ」というナショナリズムが必要になる。
例えばアメリカの公民権運動は黒人を、そしてフェミニズムは女性を、同じアメリカ人として平等に扱おうという運動だった。
国民同士でがっちりガードして相互扶助する一方、よそ者を排除するための壁を作っているからだ。
トランプ大統領がイスラム教徒の入国規制を行おうとしたり、ヨーロッパの極右勢力が移民排斥を叫ぶとき、リベラルはそれに強く反発する。
だが、ここで明確になっていないのは、リベラルがなぜ差別に反対するのかということだ。
これは本邦のインターネットで「差別反対!」と叫んでいる者たちに対して、私が不可解に感じる部分でもある。
その行きつく先がナショナリズムの否定なのか、それともナショナリズムの下で連帯するのか。
目的地を見据えないまま暴走するのが、昨今のリベラルのダメさだと思う。