2017-10-28

リベラルは、なぜ「差別」に反対するのか。

人種的性的マイノリティ権利向上を認めるには、「あいつらも俺たちと同じ国民だ」というナショナリズム必要になる。

例えばアメリカ公民権運動黒人を、そしてフェミニズム女性を、同じアメリカ人として平等に扱おうという運動だった。

  

しかし、このような運動は「差別」と表裏一体である

国民同士でがっちりガードして相互扶助する一方、よそ者排除するための壁を作っているからだ。

  

トランプ大統領イスラム教徒入国規制を行おうとしたり、ヨーロッパ極右勢力移民排斥を叫ぶときリベラルはそれに強く反発する。

だが、ここで明確になっていないのは、リベラルがなぜ差別に反対するのかということだ。

  

これは本邦のインターネットで「差別反対!」と叫んでいる者たちに対して、私が不可解に感じる部分でもある。

その行きつく先がナショナリズム否定なのか、それともナショナリズムの下で連帯するのか。

目的地を見据えないまま暴走するのが、昨今のリベラルダメさだと思う。

  

https://anond.hatelabo.jp/20171026184105

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