高校生のころくらいまでは、ネットで良い画像を見かけては都度ローカルにファイルを保存していた。
ニコニコ動画で面白い動画を見つけては、都度マイリスに入れたし、Twitterで秀逸な呟きを見つけては、都度ふぁぼをしてた。
けどあるとき、そういう行動の根源にある、何というか、せっかく見つけたものを見失ってしまうことへの心配、一度手に入れたものをなくしてしまうことへの過剰な恐怖みたいなものが、なんだかすごく馬鹿らしく思えて、それ以来ぱったり良いものを保存・記録することをやめてしまった。
実際そういう良いものリストは、作るだけ作って見直さないことが多かったし、リストを作るだけ時間の無駄だと思った。
そういうものを保存・記録しない生活を続けていて、しばらくは困ることがなかった。
ただ最近になって、一つ困ったこと出てきた、というより気づいた。
それは世の中の色んなものが、かつて俺の持っていたような溜め込み症の有無によって良さが測られているということ。
ディスクの売上枚数だとか、はてなのブックマーク数、Youtubeのチャンネル登録数とかにしても、そういう溜め込み的な行動の有無と量で、そのコンテンツの良さを評価するランキングが世の中には多くある。
そして多くの場合、単純な閲覧より溜め込み的な行動のほうが、ランキング算出用の指標として重い。
そのため、自分が気に入ったものを溜め込まないことが、その気に入ったものの評価を相対的に下げるのではないかと思うようになってきた。