マサオが死んだ。死んだのだ。
死ぬまで彼のことをさほど意識したことはなかった。ディズニーランドに来たがってる楽しげなおっさん、ぐらいの認識で。
でも、彼が死んだ今、何か悲しくてしょうがない。なぜなんだろう。
本当に接点のない、気のいいおっさんが死んだだけなのに。彼の死に、彼の死と共に死んだものを僕は数えているのだろうか。
彼が増田に投稿するとしたらなんて書くだろう。「ただディズニーランドに行きたいだけの人生だった。」だろうか。
なんだろう。そのタイトルがどうなるかだけ考えるだけでも、涙が出てくる。いや、生き方に同情したいわけじゃない。幸せは個々人の人生にあるだろう。
けれども、何か、悔しさなのだろうか。ハンターハンターに出て来そうな独裁国家の元首の長男として生まれ、寵愛され、それゆえ外の世界をみる特権を与えられ、それゆえ最後には弟に殺されてしまう。
おじさんの笑顔に隠されたそういうストーリーがなんとも心にくる。これは漫画じゃないのに、とても漫画みたいで、それゆえ僕は知り合いでもなんでもない漫画のキャラクターに感情移入するかのように画面の向こうを眺めて悲しんでいるのだろうか。
行く気になれば僕はいつでもディズニーランドにいつでもいける。正男にはそれができなかった。
海外に行く気になれば、僕は命を狙われることなくいつでもいける。正男にはそれができなかった。
僕はたかが平凡な一日本国民であって、彼は国家権力の長子であったにもかかわらず。
せめて死後に天国というものがあれば、彼にはディズニーランドで目一杯遊んでもらいたい。
そして叶うことなら、どうだったんだ、とひとつ会話を交わしてみたい。
実は死んでなかったらいいのにな。正男。