自我は存在するのか?ってのは、加速度は存在するのか?ってのと近いのじゃないか。
何もしなければ、自我は感じにくいが、行動することで自我をはじめて感じられる。
加速度もそうじゃないか。運動がなければ加速度は定義できない(一応、0ではあるけどさ)。速度が存在して初めて加速度が設定できる。
速度というのは、宇宙の物理条件の中で決定される。空間から空間を移動する距離と時間できまる。
自我はどうだろうか。
ある脳内物質が脳の領域から領域へ動いて興奮を伝達する時間でできてしまうのではないか。
今の医学は、1箇所の電気の流れから意識を設定しようとするから間違いなのでは。
複数の電気刺激の位置情報とそれに対応する動きを脳が『感じている』のだろうか?もしくは脳ではなく、何らかの別の空間があるのかもしれない。
つまり、脳の動きを神みたいなものが解釈して意識を創っているのかもしれない。
ここまで行くと宗教くさいけどさ。
でも、加速度が数字の上でしか存在しない『仮定されたもの』であるのと同じく。
自我ってのも、人間が「動いているってのは自我があるんだろ」っていう風に『仮定』しただけなのかもしれない。