人は必ずバナナを選ぶ
食べる事、そこから象徴される「変化すること」や「動因を満たすこと」を選択する、そこに帰結する
石の平穏はつまり、クライン派やラカンが言う所のデストルドーの終点や涅槃原則の事を指すのだろう
人は死なない限り、完全には、不変にはならない
完璧なこととは、何も変わらないものとは、生きていないものに他ならない
偉いのは…、美しいのは…、死んだ彼らだけだっ!!
人が完全だった頃
それは全てが満ち足りて、自我の境界もなく、即ち自他の境界もなかった頃の世界である
幼児的な万能感の世界で、他の存在もない人類補完的な世界のことである
父の名によって全能性が否定され、去勢され、不完全な存在となる
生き続けることは、一人で生きていけないことも意味する
同じことの繰り返しになるが、父の名によって言語が出現するのは自明であるだろう
精神病を除いて
仏教じゃそれを不生っていうんだ。車輪の再開発だよ