真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
日記というものは、自分自身とその周囲だけの世界を表す言葉で構成されてるんだろ?
それを読者を意識して書いているに過ぎない。
本来、そんなものを読んで正しく理解できる、不特定多数の読者がいるわけないじゃないか。
世界中の誰もが見られる場所で、本当は誰にも理解できないことを書いて晒す所だぞ、ここは。
他人の理解を重要視して利用するから、そういうことで一喜一憂するんだ。
この界隈で理解されるか否かは、ビックリマンチョコのオマケ程度の重要度だと思いたまえ。
……え、シールの方がオマケじゃないのか?
NOだ。
なぜなら、みんな正しいからだ。
正しいと思っていないのなら、それを振りかざしたりはしない。
間違っていると思ってたら、途中でやめるだろ?
後で「間違っている」と思っても、そう思っている現在進行形の自分は正しいよな。
仮に間違っていることをやっても、それが意図的なら正しいと思ってやっているってことだ。
つまり正しいというわけだな。
「正しさ」というものは、実はそこまで絶対的なものでも、神聖なものでもない。
全面同じ目とか、じゃないよな?
だったら、それは君が全く同じ条件でサイコロを振っているからだ。
それを解消するためには違うサイコロに変えたり、振り方を変える必要がある。
間に違う行動を挟んだりすることも有効だ。
逆にその出目を狙って出したいなら、君がいつも振っている条件でやればいい。