友人を自殺でなくした。
かなしい。
そりゃ、親しかったし、思い出もあるし、これからもう会えないのかと思えば寂しいし悲しい。
けれどもその悲しさは他の友人を一般的な病気でなくした時と同じ悲しみだ。
自殺した人であれ、病気で死んだ人であれ、事故で死んだ人であれ、誰かに殺された人であれ、
とにかく死んだ理由がなんであれ、会えないのはおんなじだ。
死のうかな、というようなことを打ち明けられていた。
私はなんとか就職して、社会人としてそこそこ生きていたので彼女の苦しみはわからない。
苦しみはわからないし、代わりに就職してあげることもできないし、ましてや彼女の今後の生活を支えてあげるほどこっちが稼いでいるわけじゃない。
だから無責任に「そんなこと言うなよ、生きろよ」なんて言えない。
私がそれを言ったからと、彼女が生きてくれたとしても、私は彼女のために仕事をしたり稼いであげたりはできない。
私だって結婚していて、旦那がいて、生活がある。彼女のためにしてあげられることは、せいぜい愚痴を聞く飲み会に参加する程度のことだ。
「死なないで」などと言えるほど、彼女の人生に責任なんて持てないし支えることなんてできない。
だから自殺したと聞いた時も「本人が生きられないって判断したなら、仕方ないよね」という感情だった。
生きられない人が、死んだだけ。
自分の力じゃ生きられないし、誰にも支えてもらえないんだから、そしたらもう、死ぬしかないよね。
それでも生きろなんていう人は、なんて無責任なんだろう。
何もしないし、支えられないくせに、生きろという方が罪深い。