筋トレをする為にジムへ行くのだけれど、
やも行こうと思う気持ちと、億劫さとに挟まれて、
結局億劫さに行動を抑制されてしまう。
意思の弱さはこういう時、尚の事感じられる。
自慰行為は毎日続けられるのに、
ジム通いは毎日続けられない。
これは、ジムに行くという行為にはある程度の準備が必要で、
行ったら行ったで、2時間くらいか、時間もかかるからだ。
この工程と、時間の長さに億劫さを感じてしまう。
加えて、これは快楽の度合いに依るものだと思う。
自慰行為については、射精時、あるいは射精までの道のりに大きな快楽を伴う。
快楽を求めて、億劫さなんてものはおくびにも感じず、
ただやろうと思う気持ちが行動を促す。
ジム通いにも自慰行為と同じくらいの快楽があれば良い。
快楽が用意されていない行動は苦痛だ。
しかし、行動の結果、そこに快楽があると知っていれば、
その快楽を求めて行動することができる。
あるいはその行動自体が直截的に快楽を提供してくれるのならば、
人は進んでその行動を取る。
雪だるまと同じで、転がしはじめは労力が必要だが、
転がりはじめれば後は楽にことが進む。
イメージとしてはそれに近い。
小さな快楽を少しずつ大きくして行って、
当初苦痛だった行動を快楽に直通するまで行動仕切ることで、
習慣化が生まれる。
トップアスリートや、日々勉学に励む人、あるいは寝る間を惜しんで仕事をするタイプの人は、
鍛錬そのものが快楽となるように昇華出来ている人が多い。
要は、そういう状態がある、という事を念頭にすることで、
先ずはそこを目指す事からはじめよう。
何か成し遂げたいと思う事があるならば。
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