2015-11-11

幸福とは何かについての雑記

喜び=幸福、と考えると混乱する。

悲しみ=不幸、でもないと思う。

それは「喜怒哀楽」という感情の動きに過ぎない。

欲望が満たされる=喜び、ではある。でも欲望が満たされる喜び=幸福ではない。

幸福とは、人生の充実感や満足度が高い事ではないか、と思っている。

人は幸福を目指すべきで、「喜びの感情をより多く感じる状態」を目指すのは、手段ではあるかもしれないけど、目的ではない。(でもそれを望む事は人生モチベーションにはなる)

人生の充実感や満足度が高くなるには、「喜怒哀楽」のバランスが取れる事が必要だと思う。ただし、バランスは人それぞれ。成長過程で変わる可能性もありそう。

精神が未成熟であるうちは「喜怒哀楽」の質は低くても問題なく、「欲望を満たす喜び」を「喜」として受け入れやすい。「友人と喧嘩した」が「怒、哀」、友達と遊んで「楽」

子供の頃は「幸福」と感じるための「喜怒哀楽」の量が、日常の中でも簡単に受け取れるが、成長するにつれそれが難しくなり、難易度が増していくのではないか。

「欲望を満たす喜び」が「喜」の必要量を上げる効果をなくしていき、もう少し質の高い「喜」が必要になってくる。そうなると「人の役に立つ」「できる事が増える」事などで「喜」を満たすことが必要になり、難易度も上がっていくが、バランスよく喜怒哀楽が揃えば質の高い「幸福」が得られる。

まり、欲望を満たすだけで得られる「喜」は、スライム経験値程度だと考えれば、いつまでもそれでレベル上げができるわけでもないし、戦闘の質も上がらない、という説明ができる。

  • 怒哀は、無くても 幸せにはなれるんじゃねーでしょうか。 人は、喜・楽 のみでも 幸せに なれるんじゃねーでしょうか。

    • うーん、どうでしょうね。「その一瞬だけは幸福」という表現ならあてはまるかもしれないけど。喜・楽のみの状態を維持する事が、生きている以上は難しいのと、喜・楽だけになった...

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