2015-10-27

人は究極的には独りであることが受け入れられない

私の周りには「人は究極的には独りである」と納得して生きている人たちが複数いる。

彼らは自己他者をかなり割り切っており、助け合い精神ゼロ

最終的には自分サバイバルのことしか考えていない。

夫婦関係や友人コミュニティすらも共同体であるとみなすことがない。

弱ることも落ち込むこともない、常にアホみたいに前向きで計算高い。

からたらこうした人種は非常に冷酷に見える。

以前の投稿サイコパスという単語を軽々しく使うなと言われたので使わないけれど、とにかく感情がなく論理しかない人たち。

私は弱っている時は誰かに支えてほしいと思うし、大切な人が困っていたら支えてあげたいとも思う。

というか今、弱っているので、誰かに支えてほしい。(頼れる人はゼロだけど。)

こういう欲求は間違っているのだろうか。

辛い時は一人で解決するのが大人なのだろうか。

弱っている時に温かい心をもらいたいと思うのはおかしいのだろうか。

心とはなんなのか。もうよくわからない。

他者から心がもらえない、「人は究極的には独り」である世界なら、あまり生きていたいとは思わない…

それくらい、心をもらえないのは苦しいのだけど、おかしことなのかな。幼いことなのかな。

  • 現代社会が一人でも生活できるようになった弊害でできた麻疹みたいなものだと思うよ 間違っているもクソもないので辛いなら気楽に精神科の世話になればいい

  • 見えてる部分、聞いた言葉、そのまま信じるタイプ? 増田の身の回りで、人は究極的に1人、と言って前向きに頑張っているやつは、おそらく自分の能力を把握しているし、それを使いこ...

  • 助け合いの精神がゼロということはないよ。 助け合うことでメリットがあれば、助け合うし、 助け合う必要性のない状況下では助け合わない。 それだけのこと。

記事への反応(ブックマークコメント)

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