たとえば生得的または(何らかの疾患などで)後天的に与えられた障害は生の基盤すなわち「自分の意志で選択する以前に与えられてしまう、人間の生における基本的要素」に数えられないのか。
↑ではある属性が「生の基盤」であるかを判定する方法として、その属性が一次的要素か二次的要素かを考えることを提唱している。
障害は自己救済不能であって生全般に関わる一方、社会集団に横断して存在するので障害者同士で集団を形成するような状況は起こりにくい。
障害はまるぼうろ氏のいう「一次的要素」/「二次的要素」の中間に位置する属性と考えられるだろう(ただしまるぼうろ氏は属性の社会的側面を重視しているのでどちらかというと「二次的要素」よりかもしれない)。
まるぼうろ氏の論ではこの種のヘイトスピーチを規制することを必ずしも正当化できない。
障害と民族(または性別)との間に差別の不当性について決定的な違いが存在しないのであれば、まるぼうろ氏の属性の分け方はどこかおかしい。
障害者に対するヘイトスピーチは性別や民族に基づくヘイトスピーチと同様の論理で規制されるべきではないだろうか。