この暑いさなかに頑張って皆さん衣服を着てらっしゃるわけだが個人的な意見を言わせて頂ければ正直裸より刺激的だ。
あまりにも刺激的に見えるものだからここいらでひとつなぜそう感じざるをえないのかをよく考えてみることにしたらなんとなくわかった気がするので聞いて欲しい。
自分にとって裸はそんなに刺激的ではない。
裸になってしまえば、そこに残っているのは本人の意志では変えることの出来ない遺伝子によって創りだされた結果だけなのだ。
そこに下着を着ると、恥じらいが生まれる。しかもただの恥じらいではない。そこには本人が表現したい可愛らしさだったりエロスだったりが含まれているのだ。
つまり下着姿とは、本能と理性とが折り合いをつけた奇跡的な姿といえるのだ。
そう考えれば誰かに着せられたようなセクシー下着なんてものは大して刺激的とは言えない。なにより肝心なことは、それを本人が選んでいるということにある。
さらにそこに服を着る。それはつまり人に見られてもよい常識を着こむということだ。
当たり障りない常識の中で個性を表現しようと必死な姿がそこには浮き彫りになっているのだ。
夏とはつまり、そんな本能を隠そうと着込む常識が最も薄くなる季節である。
服を一枚一枚めくることをせずとも、表向きの常識と裏に秘めたる欲望を本人自ら語らずして感じることのできる季節、それが夏というわけだ。
たとえ裸になったとしても得られない情報を得ることができる唯一の瞬間と言っても過言ではないのだ。
どこをどのように隠したいのか、そんな恥じらいこそが最大のエロスであり、夏の女性は知らず知らずの間にその姿をさらけ出している。
こちらはただ街の中を歩くだけなのに、そんな姿を際限なく堪能することができてしまう。
あぁ、夏とはなんて忍びない季節なのだ。