あんまりこういうことは言いたくないが、国民の目線だとそれがどうかした?って話。
結局1972年に出た見解が2015年の見解に形が変わる。その根拠でも理由でも事情でもいいけどそれが情勢の変化。
国民が納得してきたあるいは昨年の総選挙でお墨付きを与えた「論理」の構造は
でこれが
に変わった。
所与の条件の認識についてはいくらでもあらそったらよろしいが構造は変わっていないとしか評しようがない。朝日新聞すら「同じ論理から違う結論がでている」と非難することを通じて認めている。彼らはバカなので前提がちがうと同じ論理から違う結論がでることがあるのを理解できなかっただけだ。
ケンポーガクシャの目線の話は別のところでしたからもう飽きた。どうしてもこれじゃ表現上納得いかん、つじつまがあわんから統一見解を破棄して出し直す形にしろという運動をしたいんだったらすればいい。国民の間にそういう認識が高まれば、安部内閣はそうすることだろう。どうせ内容は同じなんだしそうすることもできたんだから。