2015-06-18

正義

正義の反対にあるのは正義」という人がいる。これを自分は信念という言葉に置き換えて理解している。以下は単純な仮定で、勝手理解だが、これを元に話をしたい。

ヒーロー物でヒーローが「この世を良くあらしめよう」と信念がある。対して、悪役が「私は欲望にまみれた強奪至上主義世界を実現する」という信念もある。これらがぶつかり合うのだからという具合であるしかし、私はそうは思わない。まず正義がどんなときにあるのかを考える。正義とは三省堂によると、"正しい道理。公正"とある。これに基づくなら、正義が成り立つのは、正しくない道理や不公正があるときであり、対置されるもの正義であるとは考えられない。

ここで不公正をもう一度考えてみる。先ほどの例ならば、不公正はもちろん悪役であると言える。他人のものを奪う世界の実現を目指すのだから、現時点での道徳基準で考えるならば不公正と言える。しかし、悪の親玉を支持する下っ端はそうは思わないはず。むしろ自分らの信念の実現を目指すのだから、それは正義であると言える。この意味において、正義正義対置されるだろう。

しかし、これは他人を害して実現する仮の正義だ。不公正を持ってして行われるものは、正義とは言えないはずである。だから私は、「正義の反対にあるのは正義」という考えには賛同できない。もちろん、余談だけれど現実は白黒がはっきりつかず、一方が他方を害する形での正義は少ない。この問題は、道徳価値準則が異なるから起きる。例えるならば、殺すことを許さな人間と増えすぎた生命間引くことが正義とする宇宙人の考えが、一致するとは限らないからだ。

  • 正義の反対は悪だ。 ややこしいのは、正義の名のもとに人を殺すという悪を犯すのは、果たして正義か?という問題が常に発生するから。

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