http://anond.hatelabo.jp/20141029000828
を書いてから相変わらずモヤモヤしていて、ちょっとだけ言語化の手がかりをつかんだ気がするので吐き出しておきたい。
でも、そもそも認知できない/情報を得ていないのはどうにもならない。この部分の能力を大人になってから向上させるのはほとんど無理なのではないかと思う。
なんで大人になるとできないのか。意識下の情報がある閾値を超えて認知に上がってくるのは、刺激の強さや時間。と同時に刺激のパタンが重要なのではないかと。ある刺激のパタンをとらえて意識の上に押し上げるためには、そのパタンの受容体が無いとダメなんじゃないかと。
なので、多くのパタンに対する受容体がある人は大量の情報を認知の上に押し上げることができる。受容体が少ない人は押し上げられずに認知されないまま捨て情報になってしまう。
受容体が多く形成されるのは臨界期であろうと予想されるので、大人は新しい受容体を形成しずらいのではないかと。
じゃあ受容体が多く形成されるであろう臨界期の過ごし方ってなんだ?
と考えると、それは多彩なパタンを大量に経験することであり、それができるのは楽器だったりスポーツだったりするんじゃないかと。
受容体は単純な刺激から形成されていくわけではなく、身体と環境と脳のフィードバックループから形成されていくのではないかと思う。子供は音楽を聞いているだけでは特に知能指数には影響ないが、楽器を練習させると知能指数が高くなるというデータを何かで読んだ記憶がある(何だったか覚えていない。ちょっとあいまい)。
楽器やスポーツは身体と環境と脳がループ状にフィードバックしており、そうした継続的な自発アクションから生じる変化に富んだ刺激の中ではじめて受容体が形成されるのではないかと予想してみる。
優秀さとは抽象度を自由に変えられることだと思っていた。 ある事象について、抽象-具象に10段階の断面があるとすると、必要に応じて適切な抽象度の断面を用いて、別な事象への理...
http://anond.hatelabo.jp/20141029000828 を書いてから相変わらずモヤモヤしていて、ちょっとだけ言語化の手がかりをつかんだ気がするので吐き出しておきたい。 でも、そもそも認知できない...