あらゆる商業的消費行為において他者の同意など必要としてるものは一つとしてありはしない。
強いて言えばあらゆる「商業的」消費行為には行為の前提として然るべく定められた金額のカネを払うということが義務付けられており、それを果たした場合には原則として何をどう消費しようと消費者の自由ということになっている。
スーパーで買ってきたニンジンを、カレーにしようがシチューにしようがウサギに食わせようが腐らせようが、それは買った者の自由であり何ら非難される謂れはない。
というか、なぜ同意を必要とせざるを得ないような消費の仕方をするのか?
「同意を得ない不快な性的消費」というフレーズは、性的消費が同意なしで成立する状況が存在することを前提している。
同意があろうとなかろうと性的消費行為はすでに存在するのだから、そのまま消費しまくるというルートを突っ走れば良いではないか。
消費対象が消費される主体と分かち難くひとつのものと認識されるからか?
豚肉をスーパーで買うのでなく直接生きた豚と交渉して手に入れる時のように。
しかし生きた豚に交渉したところで豚は断固として肉を取らせまいとするに決まっているだろう。
性的消費って言葉は、同意を得ない不快な欲情、くらいのニュアンスに感じる。 男性から女性に対する同意を得ない不快な欲情を問題にするフェミニズムの人たちは 女性が男性に向かっ...
消費行為自体には本来他者の同意など必要ない。 あらゆる商業的消費行為において他者の同意など必要としてるものは一つとしてありはしない。 強いて言えばあらゆる「商業的」消費行...
消費に同意など得られない。呪われながら消費するより他ない。本来消費とはそういったことだ。 何故同意を得ようとするのか?そうして得られる同意とは一体何なのか? 同意を得...
追記、フェミニストのうち腐女子でもあるそうの更に一部が、 やおい創作はフェミニズム的であるような雰囲気を出すのは、 女は「強姦(比喩表現)」されたら深く傷つくのに、女が...