私は「悲しい」だったり「さびしい」といった感情が湧いてこなかった。
愚痴というのは怖いもので、全く自分に影響のない人であっても悪口や不満を聞いてしまうとその人に対してマイナスの感情ばかり持ってしまうようになる。
ものごごろついた頃には母から祖母の愚痴を聞くようになっていた。
嫁である母が姑の祖母の愚痴を言うのは我が家だけのことではないと思う。
愚痴を言うことで楽になることもあるだろうと私はすすんで母の話を聞いていた。
母には身近な「味方」が必要であり、子供ながらにそれを肌で感じていたのかもしれない。
祖母は面倒な人ではあったが悪い人ではなかったと思う。
思い返せば、孫に甘いやさしいあばあちゃんだった。
しかし、「味方の敵」ということもあり、私は次第に祖母に対していい感情を持てなくなっていった。
痴呆がすすんでからはコミュニケーションをとった記憶も数えるほどしかない。
父は事情の把握とその承認をすることのみで、最近はそのことで愚痴もエスカレートしていた。
しばらくはこの状態が続くだろうと家族皆が思っていたところで、祖母はあまりにもあっけなく逝った。
下の兄弟たちは愚痴を聞くことが少なかったためか祖母が死んでさびしいといっている。
対して私は「母の苦労が減った」という安心感を抱いていた。