2014-06-29

ゼロ年代の大半

私は多分、死人のように生きていた。

何をやってもやるそばから邪魔が入り、計画は認められないか、次々に頓挫し、あるいは横取りの憂き目に遇い、軽薄な連中は私が無能で信用に足りない池沼だと嘲り罵り、見下した。

私には信用に足る友人の一人も出来ず、その責任はいつのまにか私一人の不徳のせいにされ、これも嘲笑いのネタとなった。

家族は私の訴えに耳を貸そうとはしなかった。だいぶたった今になって、それは彼の性格が悪いのでなく、不利を受け入れる勇気が足りなかったことに気づいたが、そんな事実で私の失われた10年間は戻ってこない。

私は死人のように生きていたが、恐らくそ10年は人によっては私が明らかに死んでいた10年だったのだろう。

近年私は自分社会的に息を吹き返したらしいことに気づいた。

ただ、社会的な死を一度体験した私は、何もかもが昔のようにというわけにはいかなかった。

人嫌い、対人不安睡眠コントロール障害、被害妄想、あらゆるネガティブな心のくせでがんじがらめになり、まったく自由を満喫できていない。

他人から挑むような不幸自慢を聞かされる苦痛苦痛苦痛、その あらゆる場での刺激が、私を苛むのだ。

せめて日常につきまとう、あの目の光さえなければと思いながら、社会の片隅で地味な服を纏った目立たない私は今日もゆるゆるとスニーカーで歩いているのである

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