2014-02-11

世代間における努力意味共通点

違いがあるなら共通点もあるかもしれない。

たとえば、環境を自らの手で構築すること。

 

逆に言えば、与えられた環境既存の蓄えられたノウハウにすがって努力放棄することは、どの世代でもできることだ。

老害だろうがゆとりだろうが、どちらも努力放棄は可能である。逆も然り。

元に戻せば、変化する環境適応を試みる、という意味での努力世代間に変わりはない。

 

変化があるとすれば、過去現在において、環境が違う、という場合も考えられる。

元増田の言わんとする所は、環境が違うのだから、じーさんにとっての努力と、俺らにとっての努力意味が違う、ということだろうか。

元増田の言うとおり、する必要のない努力はする必要はない。そのほうが豊かだ。

 

しかし問題になるだろうな、と思うのは次の場合である

努力経験がない者は、現在環境が変化した時、生き残れるのか。

まぁ、きっと努力せざるを得なくなるのだろうけれど。

 

若いうちに体育会系ハードワーク、あるいは努力)して経験知稼いでおいたほうが、

老人とのゼロサムゲームスキーマで論じるよりも、生産的ではないだろうか?

失敗しても、自分よりもあとの世代は失敗事例として学んでくれるわけだし。

 

些か一般論が過ぎたかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20140209140426

記事への反応 -
  • 熱血スポ根がウケなくなって久しい今日、世代間における努力の意味に大きな溝が生まれているような気がする。 古い世代は理不尽だろうがなんだろうが、自分の欲を殺して苦労するこ...

    • 違いがあるなら共通点もあるかもしれない。 たとえば、環境を自らの手で構築すること。   逆に言えば、与えられた環境、既存の蓄えられたノウハウにすがって努力を放棄することは...

    • お前の言うことも一理あるけど、 やっぱ使える奴と使えない奴の差って 「仕事する環境やライブラリや人間関係を自分で構築出来るか」 ってトコにあって、環境用意されないと作業出...

      • と、自分に都合の良い環境を変えたくないおっさんが叫び出しそれに反発すると生活が崩壊するからみんなヘラヘラ笑って聞いてあげとくけど一緒に飲むのはマジ勘弁と思われている風...

      • 繰り返しの作業しか仕事が無いんなら環境やらライブラリやら用意しない爺さんはクソだと思うけど、 そういう仕事って若いのにやらすつったら別に正社員使うまでもないんだよね。 バ...

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