2014-02-09

世代間における努力意味の違い

熱血スポ根がウケなくなって久しい今日世代間における努力意味に大きな溝が生まれているような気がする。

古い世代理不尽だろうがなんだろうが、自分の欲を殺して苦労することを努力と呼んでいる。

若いうちの苦労は買ってでもしろ、ということだ。

しかし、この構造まやかし若い世代は気づいている。

苦労とは、苦労しないで目的を達成できる良い環境にいる人に、一方的に差を付けられるということでしかない。

必要なのは目標達成まで最短で効率よくたどり着ける方法であって、スタート地点付近右往左往することではない。

そうやって苦労しているわずかな時間に、あっという間にライバル達は先に行く。

そして自分の苦労は全く報われること無く、苦労していない奴が世間でもてはやされる。

それを若い世代は見ている。

思うに、古い世代戦後焼け野原から復興するのを原体験としている。

焼け野原では右も左も分からずに、ただ突撃するのが良かったのだろう。

しかし今では文明は再構築され成功ノウハウは蓄積された。

必要のない苦労は取り除かれるべきだし、次の世代に良い環境を残せない先人は、老害と呼ばれてしかるべきである

  • お前の言うことも一理あるけど、 やっぱ使える奴と使えない奴の差って 「仕事する環境やライブラリや人間関係を自分で構築出来るか」 ってトコにあって、環境用意されないと作業出...

    • と、自分に都合の良い環境を変えたくないおっさんが叫び出しそれに反発すると生活が崩壊するからみんなヘラヘラ笑って聞いてあげとくけど一緒に飲むのはマジ勘弁と思われている風...

    • 繰り返しの作業しか仕事が無いんなら環境やらライブラリやら用意しない爺さんはクソだと思うけど、 そういう仕事って若いのにやらすつったら別に正社員使うまでもないんだよね。 バ...

  • 違いがあるなら共通点もあるかもしれない。 たとえば、環境を自らの手で構築すること。   逆に言えば、与えられた環境、既存の蓄えられたノウハウにすがって努力を放棄することは...

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