2013-09-08

生きるに値すると、生きる価値があるとは、違う

宮崎駿監督引退会見で言った言葉反響を呼んでいた。

うん凄くいい言葉だと思った。

この世には生きる価値があるのだと。

それを子どもたちに伝えていく事と、

価値がある世の中を子どもたちに渡す事が、

大人なんじゃないかと。

世の中にものすごい成果を上げた人が言うと、

この言葉はとても格好がよい。

だけど1日たって、意地の悪い考え方が頭のなかに持ち上がってきた。

IT関係の人たちならすぐに気が付いたのかもしれない。

「生きるに値する」とは、「生きる価値がある」とは『違う』。

生きるに値するとは、「'生きる'という変数に値を代入する」ことである

記述するなら、

生きる = 値

ちなみに生きる価値があるは

生きる == 値

(生きると値は等しい)

変数は、それが宣言されたときには値は入っていない。

たぶんその時点ではNullだろう。

Null(無い)だ。

""(空白)ではない。

では値の入っていない生きるは、存在していないのと同義かというと

それも違う。

なぜなら変数は宣言された瞬間、メモリ上に領域が確保されるからだ。

中身は無くとも、その場所あなた存在しているのだ。

値にはいろいろある。

仕事、カネ、男、女。

信念、理想、地位、子供

家族、仲間、友達、他人、自分

入れなくたって構わない。

入れることができるだけで、入れないといけない訳ではないのだ。

なんてことを妄想した。

推敲するのも飽きてきたのでこれを初増田として投入して、

放置ザックス狩りに戻ることにする。

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