趣味で創作していると、きっとどこかで考えちゃうことではないかと思う。そして、何かそういう考え方にハマって、奇抜のことをする。すなわち黒歴史だ。
なぜ黒歴史なのかといえば、なんとなくハマっているときは既成概念というか常識を軽視してしまって、よく分からないものができあがることが多いからだと思う。
自由は不自由な状態があってこそのものだ。不自由な何かに縛られるような状態があって、それから自由になる。最初から何にも縛られていないのなら、そこには自由も存在しない。
宇宙空間は無重力だ、というのは地球には重力があるからそう言えるのだ。地球に重力がなければ、重力という考え方が存在せず、重力がないという状態は考えることもできない。
そういうわけで自由になるためには、その自由を縛るなにかが必要だし、よりいっそう自由であるためにはその縛る何かをよく知り、理解して重視しなくちゃ、と思うのだ。
既存の枠をぶち壊すには、まずそこに枠があることを認識しなくちゃいけない。存在しないものは壊せない。
ただ既成概念から自由になる方法は、既成概念をよく知ること以外にもある。それは既成概念を全く知らない、という状態だ。
それはもう自由になるという考えさえ生まれないぐらいに無知でないといけない。それがあることさえ無視するのだから究極に自由かもしれないが、ふつうは無理だ。意識しちゃいけないんだから、目指すこともできないというわけで、目指したらその時点で失敗ということで、自由に! というモチベーションから真っ向にぶつかっている。
モチベーションを持ったところですでに失敗している。もう既存の枠を壊そうと思ったのなら、残されているのは既存の枠を溺愛する道だ、と思う。