「このページは戦時の強制連行・強制労働についての調査研究を紹介します(竹内)」とのこと
ラバウルヘは軍隊「慰安婦」も連行されていた。全北茂朱郡出身の朴さんはソウルの「職業紹介所」に売られ、野戦病院での洗濯や看護をした。三年働けば借金を返還できるという「慰問団」への参加を持ちかけられ、釜山・下関を経て、ラバウルに連行され、性の奴隷にされた(証言・FAS翻訳史料)。ほかには、「紡績工場への就労」という言葉でだまされ、下関、広島を経てラバウルヘと連行され、二〇人の女性たちと教会に設営された「慰安所」で性奴隷を強要されたケースもある(『ハッキリ通信三』日本の戦後責任をハッキリさせる会、一五~一六頁)。
兵士の証言には、一九四二年ころラバウルには約一〇〇人の慰安婦がいた、一九四三年には大連からラバウルヘと「ウラル丸」で約六〇〇人の女性(韓国、台湾、中国)が連行されたというものある。その実態の詳細は不明であるが、多くの女性がラバウルなどで性奴隷とされていったとみられる。