2011-09-13

クリエイターという人種

クリエイターという人種に、あこがれる。あこがれるとともに、知れば知るほど自分には絶対無理だと思わされる。それを実感させられるのは、たとえばこんな人を見たときだ。

http://anond.hatelabo.jp/20110907062309

この人は、それなりに大した作品を創り出せる。そしてその作品が一人歩きして大きな影響を人に与えることができる。高く評価される。だがそれに喜ぶどころか、評価を得れば得るほど、この人は果てしない孤独に落ち込んでいく。それも自分勝手にどんどん穴を見つけて深みにはまっていくように、気がつけばどんどんと人から遠ざかってゆく。そしてますます自分人生の全てをかけて創作行為に打ち込んでいく……。

……ほんとうにすごい。こういう泥沼のような性格の人でないと、創造などという神をも恐れぬ秘密の一端に手を触れることは許されないのか。これだけの犠牲を捧げなければ、創作物で人の心を打つことはできないのか。

読者・観客というのはワガママだ。極論すれば、芸人舞台の上で本当に死ぬことを求めている。それも芸人が素晴らしければ素晴らしいほど、舞台に命を捧げることを要求してくるのだ。芸人は、死のギリギリの淵まで笑顔で降りていって、観客をハラハラさせ煽ってみせる。観客は手もなく欺されながら、それでも「次は大丈夫かしら?今度こそ死んでしまうのではないかしら?」と眼をギラギラさせながら舞台上を見つめる。その眼に煽られて、芸人は再び、もっと際どい死の淵まで降りるような芸にチャレンジしてしまう……もちろん、そういう観客との危うい追いかけっこに足を踏み入れること自体、芸人の才能の証明であるとともに、ひどくレアなことではあるけど。

けれど、そんなとき、ふと舞台の上で孤独と、自分を見つめる観衆の残酷な眼の色に気付いた芸人は、果たしてどうすればいいのだろうか?

……私にも分からない。

なぜなら、あるいは自分もその観衆の一人かもしれないからだ。

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