2010年10月09日の日記

2010-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20101009191623

元増田です。

今、受験で「やみくもに詰め込み学習」するヤツなんていないよ。今の受験は、いかに効率よく頭使わず受験をただクリアーするか、というゲームに近い。受験産業は、手取り足取り「いついつまでにこれとこれの問題集をやってこのテストでこのレベルクリアしてどの講習を受ければオッケー」みたいな、トータルパッケージされた「受験勉強」を売り、学生保護者はそういうパッケージを購入することが「受験勉強」だと思ってる。マジで。そんなもん、いくらやったってまさに無駄

根岸氏の時代はともかく、俺の頃(といってもたかだか十年前)は既にそうでしたけどね。

しかしあなたが言うように「そんなもん、いくらやったってまさに無駄」なんであって、そういうことをやっているミーハー君たち(たぶん大人になったらライフハックだのフォトリーディングだのと言ってる人種)よりも、基本的な事項をきちんと勉強している人の方が勉強時間も少なければ成績も圧倒的によかったというのもまた事実でした。まあ、ライフハッカーに本当に優秀な人がいないのと同じことですねw

競い合いしのぎ合いひたすらガリガリと脇目を振らず修行僧のような生活をする「受験風景なんて、大学全入の現代にはもう消えたんだ。そういう「勉強」には、自分の頭で計画を立て、調べ、実行したり、無意味なまでに特殊な方面への完成度を高めたりなど、意外と学問の基本となる領域に近づく部分もあっただろうけどね。

どうなんでしょうね。はっきり言って、旧帝大医学部みたいなところを除けば、事実上「競い合う」なんて風景は、少なくとも70年代以降には存在しなかったんじゃないでしょうか。基礎がどれだけ理解できているかという部分だけで十分選抜の機能が果たされてたと思いますし。

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それは

  • パッケージを作る側がかつてより非常に優秀になり、詰め込まれているという認識がないぐらいスムーズ学習を進めることが可能になっている
  • 学習に求められる難易度と量が低下しているので、全体的に平易になっている
  • 学生数の減少に対して入学者数の絞り具合が追いついていないので、相対的にハードルが低く感じられるようになっている
  • 学生の気質の変化

などいろいろあるのだが、さつまいもが黒焦げになっていたのでここまで

訳書を読むという行為は写真を見るのに似ている

同じ作品でも、訳し方は人によって全く違う。

それぞれに良い所があり、味がある。

その作品をより深く理解しようと思えば原書を読むのが一番だろうが、その言語への理解が浅ければ作品も深くは理解出来ない。

だから訳書を読む。

けれどそれは訳者の理解のフィルターを通した作品であり、だからこそ人によって違った訳が生まれる。

何人もの訳を読めば、理解は深まると思う。

同じように、一つの風景でも撮り方は人それぞれだ。

撮影者が何処に美しさを感じたか。

それが、風景を忠実に写し取っていると思われがちな写真というものにも現れる。

現地へ赴けばどんな景色であるか、どういう風に美しいのか、あるいは美しくないのか、何も通さずに感じられるだろうが、そう何処にでも行ける訳ではない。

だから写真を見て楽しむ。

何枚も、何人もが撮った写真を見れば、そこがどんな場所なのか良く分かるだろう。

そんなことをふと思った。

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元増田です。

はっきり言ってそれは底辺じゃないですよ。かなりマシな部類です。

で、あなたが、というわけではないが、こういう事を指摘している人が、得てして「余弦定理三平方の定理の一般化である」ということに気づいていなかったり、余弦定理意味を図示してみることができなかったりする。

結局、理解の程度の差を言い出したらきりがないんですよ。そもそも、研究レベルでも似たようなことはあって、ある概念と別の概念の関係を指摘するだけで一つのすばらしい研究成果になったりするんですから。どこまで理解すれば完璧に理解したことになるかというとそれはとても難しい問題です。

ただ、興味を持って深く追究すれば理解の程度は深まっていくし、ある程度「わかった」と言える目安のような段階というものはあります。受験で要求されるのはそのような「目安」の段階にまで達することです。そこまで到達することは極端に難しいことではありませんが、だからといってそれなりの努力なしにできることではありません。

http://anond.hatelabo.jp/20101009185048

少し活動を押さえていたのですか?w

ビョーキの再発といいますか。

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元増田です。

例に挙がってる数学のケースで言えば、おおざっぱに以下のレベルがあって、

  1. 公式を覚える(単なる丸暗記)
  2. 公式を理解する
  3. 公式を定型的に応用する
  4. 公式の応用方法を考え出す

それは何か順序がおかしくないですか。「理解」していれば定型的にであろうが非定型的にであろうが応用できるはずだし、そもそも公式を忘れてしまっていても復元することさえできるはずで、逆にそれができない人は「理解」していると言えません。

たとえば、対数の底の変換の公式logbx =logba logaxなんてのは、定義に戻ってx=alogax=blogbx, a=blogbaということを思い出せばその場で導き出せるものだし、実際俺はこの公式を覚えていないので今この場で導出しました。要は「対数」とは何かが「一連の記号の操作の手続き」としてでなく、感覚として体に染みついていればだいたいどうやって公式を導き出すかはすぐにわかります。

そういうわけで、俺は定義みたいなものや導出が極端に煩雑な物を除いて「公式」というのを基本的に覚えていません。覚えるよりもそのたびに導いた方が簡単だからです。

そこまで行かなければ「公式を理解する」という段階に達したとは言えません。

教科書の公式を証明するのは2.~3.のレベル教科書に載ってる公式なら大抵は証明も一緒に習ってるはず。

教科書証明を読んで覚えているというのは「理解」したことになりませんよ。それを一旦忘却してしまったあとで、自分最初から作り出せる、そのレベルになってはじめて「理解」したといえます。分数の割り算は逆数を掛ける、という証明なんて一々覚えていないでしょうけれど、「当たり前」にしか思えないでしょうし、証明しろといわれればすぐできるでしょう?(もっとも、世の中にはできない人も多いんですけどね。また、実数とはなにか、というところまで突っ込んでいくと数学科の学生でもなければまともに答えられないと思いますが、そこまでの厳密性は求めないことにしましょう。それを言い出せば上の対数の問題だって同じですし)

で、そのレベルにまで理解を深めるためには普通はある程度具体例を知ることが必要ですし、その過程でその分野の基本的な定石(例えば未知数があればとりあえずxなどと置いて式を立ててみるなど)・手筋(たとえば、複素数zが実数であることを証明するにはzの共役がzと等しいことを証明するなど)のような物も身につけていくことになるはずです。逆に言えばこうした概念を「当たり前」だと思えるようになるためには、そうした定石・手筋を知ることが感覚を磨いていくための絶好の手段で、教科書併用の問題集あたりを「きちんと」こなせばそれぐらいのことはできるようになるはずです。そして、その種の定石・手筋が身に付いていれば、「教科書の公式を証明せよ」という問題も簡単に料理できるはずなのです。

別に受験に限らず、新しい概念を身につけるためにはこういう過程は必要なはずなんですが、大抵の人はこういう過程を「きちんと」こなせていないんですね。大抵は問題集や参考書を見て、書いてあることを半ばうろ覚えに丸覚えしてそれで事足れりとしてしまっている。それじゃダメです。概念というのは形式的な定義を覚えてそれで終わりではない。何のためにそんなものを定義したのか、それを使うとどんないいことがあるのか、既知の他の概念とどういう関係があるのか。そういう疑問をきちんと一つ一つ考えて自力で解決していかなければ「理解した」とは言えないでしょう。大概の人はその辺をほったらかしにしてるから、詰め込み勉強というものを何の工夫の余地もない退屈な丸暗記だと思ってしまってるんですよ。

まあ、こういうと難しく聞こえるかもしれませんが、「死亡フラグ」だの「ツンデレ」だの凝ったネットスラング概念を理解する際には大抵みんな同じことやったはずですよ。早い話、

  • 死亡フラグ」という言葉をみかけて、何だと思ってぐぐってみる
  • 説明を読んでとりあえずわかったような気になる
  • 「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」などの具体例を見て知る
  • 自分の知っている話の中から「死亡フラグ」の例を探し出し、感覚的に概念を理解する

というような過程は誰しもやっているはずで、この辺のことをやれば、何かの話が挙がっているときに「それは死亡フラグだな」とかツッコミを入れるという「応用問題」も難なく解けるようになっているはずです。もちろん数学なんかはそれよりは幾分複雑ですが、基本的には同じようなことをもうちょっと念入りにやればいいんですよ。

実際、「死亡フラグ」って概念を使うこと自体、ある種のストーリーの「様式」を分析しているわけで、文学研究の初歩みたいなことやってるわけですよ。そう思えば別に恐るるに足りないでしょ?

スローガン風に言えば、「詰め込むならきちんと余分な空気を抜いて圧縮し、入れる場所を考えてから詰め込め」ということですね。

何をしても楽しくない

勉強をしようと思ったが頭が回らない。

気晴らしに漫画でもラノベでも読んでみようと思ったがどいつもこいつもくだらなさ過ぎて面白くない。

何も思いつかない。何にも興味を持てない。

このままではバカのまましかも何もできずに終わる。

どうしよう。

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>「死ね」とまで言われながらブログを書き続けるのは何故だ

こうやって、ブログ宣伝までしてくれる人がいるから。

http://anond.hatelabo.jp/20101009190408

女の人は偉いなぁ。立ち直れないだろうから言わないであげてるだなんて。

男の場合、もし、フェラあんま上手じゃないとか、あそこがクチャイとか、締め付けがゆるいだとか、思ったのに言わないとすれば、それは立ち直れないからじゃなくて、言ったらもうやらせてもらえなくなるからなんだけど。

女の人は偉いなぁ。男みたいに自分本位の理由じゃなくて、相手のために言わないであげてるだなんて。

結婚したいと思った。

最近周りの人たちが次から次へと結婚していく。20代前半から30代後半まで独身者が既婚者になっていく中で、まぁそのうち時期が来れば自分もと思いながら気に留めずにいた。正直、一人でいることにはあまり苦はない。他人と暮らすことは楽しそうだとは思うけれども、それよりも日々のめんどくささのほうが圧倒的に大きいことを知っているからふんぎりがつかない。だいたい結婚とかその前に相手がいない。できる気配もない。

昔、一度だけ結婚しそうだったことはある。この間ぽろっと親しい人と飲みながらその話をしてしまって、あの時の感覚がよみがえってきた。ずいぶん昔とはいってもたかだか四年前だから残っていてもおかしくなかったのに、ずっと忘れたふりをしていただけなんだろう。

意外に苦労してるんだね、と言われて薄く笑うことしかできなかった。言われてみればその通りだ。あの時は婚約破棄をしたわけだし、まだ言ってないけどそのあと別件で鬱にはなるし、過労で死にかけたこともあるし、自殺未遂もある。殺されかけたことだってあるし、極貧生活に絶望していたこともある。それが今はただの平凡なサラリーマンだ。平凡なサラリーマン生活を送っていることの方が不思議でしょうがないくらいなのに、なぜかそのことを忘れていた。まだあのころに壊した体は元に戻っていないし、精神の状態だって危ない橋渡りながらという感じなのに、どうしてつらいことを忘れていけるんだろう。どうして何もかも、知らなかったふりをして生きていくことができてしまうんだろう。あの時、つらかったんだった。

なんとなく笑ってやり過ごしていたのに、なぜか急にふっと結婚したいと思った。誰かと人生を分かち合いたいと思った。ただ少し、そのつらさを分け合う人がいれば、大変だったんだねとか苦労したんだねとかその言葉一つだけで、この重い荷物だっていつか本当に忘れていくことができるし、背から下ろすこともできるだろうと、なぜか根拠もなく思った。

でも、熱い湯につかりながら酔った頭で考えていたんだ。この生活を変えるきっかけがない。出会いもない。変わっていく予感が全くない。きっとまだ結婚できないんだろう。相手もできないんだろう。自力でこの荷物を背から下ろさない限り、だれとも出会えないんだろう。

結婚したいなぁ。

え、ノーベルの人のあの発言を否定したがる人なんていたんだ。

底辺はもっとひどいよ

http://anond.hatelabo.jp/20101009194100

公式を覚えるが、定義は覚えていない。

定義を覚えていても、公式は導き出せない。

例えば、第二余弦定理の a^2=b^2+c^2-2bc*CosA と、角を求める CosA= (b^2+c^2-a^2)/2bc を別に覚える。全く別な概念だと思ってる。そして一方から一方を導くことができない。こういうレベル

もっとひどいと教科書の問題一つ一つを覚えようとする。だから二次方程式の係数が違うだけで「教科書に載ってない」と騒ぐ。

受験私立高校からストレート高学歴になった人はこういう底辺の現状に立ち会ったことがない。知らないまま死んでいくのではないだろうか。

ついでに言えば、彼らにはもちろん職がない。これは自業自得だろうか。自己責任だろうか。

ちなみにこれは僕の母校の話ではない。僕の母校と部活動で交流のある、公立校の話である。

思うに、高校レベルに達してはいない。しかし、高校には通っている。もちろん、彼らが中卒だったとしても、やはり人生は厳しいだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20101008200138

呑んじゃったよ!

家で一人で呑むのは気が楽でいいね!

http://anond.hatelabo.jp/20101008234008

元増田からコメントいただいて光栄だ。

手短に書くと、戦略としてよくないのではないか、というのが俺の感想だ。

元々俺がものを言いたかった相手というのはどこぞのコンサルだの誰かだのの権威に目が眩んで耳を塞いでいるのだから、特にそれが道義的に非難されることではないと思うのだが、いかがか?

これがディベートのようなもので、レフェリーがちゃんといるようなものであれば、それでもいいと思う。

ルールの決まっているゲームならば、ルールを守る限りで、勝てばいいからだ。

だが、実際に相手を説得するような場合には、相手が気にくわない手法を使ったからといって、こちらもそれを使っていいということにはならない。むしろ逆効果になって、目的(説得すること)から遠ざかってしまう。

増田の苛立ちはよくわかるが、それでも相手を挑発していいことにはならない。

意見が対立するであろう相手なら、なおさらだ。

「普段なら聞く耳を持たない連中が今なら持つかもしれないから」

と考えてのことなら、挑発をすべきではないし、細部を犠牲にしてでもシンプルに書くほかないだろう。

海外に出ることに反対だとも言っていないことはわかってもらえるか?

というのは理解した。

だがおそらく、「それほどダメではない」とか、「反対だとも言っていない」ということは、伝わりにくいだろう。

まあ単純に、俺の読解力の問題かもしれないが。他の人のことはわからないからな。

増田の主張で一番共感したのは、

そもそも、知識というのは持っているだけで人生が楽しくなるはずのものだ。お前らはアニメゲームやITに関する知識を溜め込むことは大好きなのに、自然社会人間に関する知識を溜め込むことは無益だというのか?それはただの偏見だ。

という部分だ。

これをもっと挑発的ではない形で伝えられないか、とも思う。

分離の経緯

2010/5/14

 ショートスタッフミーティングにて社長からERP事業をグループ内で統合する新しい組織を構想中との話があった

 どの会社にどういう形でというのは未定とのこと

 どのような形であってもHCJが中核となりリードするとのこと

2010/7/23

 オールスタッフミーティングにて初めて日立製作所への出向を明言

 マネージンディレクターも一緒に移り奴らの好き勝手はさせないと説明

2010/8/8

 品川飲食店に集められる

 マネージンディレクターが考えている出向者をマネージャ以上に限り公表

 個人別に調整し9/2に全員発表予定と説明

 出向期間は最低一年その後は調整との説明

2010/9/2

 調整も発表もなく経過

 それもそのはず、マネージンディレクターは8/27からこの日まで連休取得

2010/9/3

 突然ディレクターが名簿メール送信

 示達の日程調整依頼

2010/9/6

 メール送信から土日を挟んで月曜、調整がつかないことを理由に

 ディレクターメールで示達宣言

 半年間の出向後転籍を予定との記載

2010/9/9,10

 説明会。ただしPCの扱いや就業規則、事務手続きなど

 マネージンディレクターから出向と転籍に関する考え、社員に向けた言葉はなし

 「やることは変わらないでしょ」

 「人事と総務の話を聞いて滞りなく事務処理やって」とのこと

 日立製作所での体制図にマネージンディレクター名前なし

 これを質す質問に人事は「検討している」と返答

2010/10/1

 出向初日。

 旧ディレクター、現担当部長がHCJのERP事業の説明をする

 ただし4年前の数字で。「今、計算してますから」とのこと

2010/10/8

 日立製作所の期首総会

 旧HCJ部隊の上に立つ部長から部の方針説明

 「まだ何も決めてない」

 「何も言わないわけにはいかないので方針を書いた」

 「まだはじまって一週間なので早くなれてほしい」←えっ

真摯さゼロ

転職活動は順調

マネージャ「まぁ俺たちは売られた身だからな」

アナリスト「売られてないです!だって対価はもらってないでしょ?売れてないです!」

Oracle部にOracleわからない人間を紛れ込ませたのはなぜ

マネージンディレクターは酒の席には顔を出すがしゃべるのは「日立としてオラクルがんばろー!」

基礎練習は必要だが、それだけでは足らんのですよ

http://anond.hatelabo.jp/20101008123335

基礎の詰め込みは避けて通れません

大学受験人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。

例に挙がってる数学のケースで言えば、おおざっぱに以下のレベルがあって、

  1. 公式を覚える(単なる丸暗記)
  2. 公式を理解する
  3. 公式を定型的に応用する
  4. 公式の応用方法を考え出す

教科書の公式を証明するのは2.~3.のレベル教科書に載ってる公式なら大抵は証明も一緒に習ってるはず。

受験数学だと、大学ランクによるけど2.~3.ができればそこそこの所には入れる。過去問題をやりまくって経験済みの応用パターンを増やせば結構良い大学まで3.の勝負にできる。

でも東大京大クラスでは4.レベルを要求される。3.レベルは出来て当たり前の人間が集まってその中で頭ひとつ抜け出ることを要求される。


高校の教科書が理解できていれば東大でも入れるってのは、入学試験の前提条件として要求できる知識は高校の教科書に載っている内容のみって縛りがあることの裏返しとしては正しいが、+αの問題解決能力を要求されないって意味ではない。

だから、そう主張してる人がいたらそれは

  • 応用力はともかく知識としては、という前提で話をしている(その前提をその場で説明するとは限らない)
  • 背景を理解せず、結論だけを請け売りしている(おそらくその人自身には東大に入る実力は備わってない)
  • 応用力が無い人もいるってことを感覚的に理解できない天才(呼吸するように出来る人には出来ない人の気持ちを理解するのは難しい)

のいずれか。

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今の受験と昔の受験を両方とも体験なされたのですか?

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昔の受験と今の受験を一緒にされてもなあ、と思う。

今、受験で「やみくもに詰め込み学習」するヤツなんていないよ。今の受験は、いかに効率よく頭使わず受験をただクリアーするか、というゲームに近い。受験産業は、手取り足取り「いついつまでにこれとこれの問題集をやってこのテストでこのレベルクリアしてどの講習を受ければオッケー」みたいな、トータルパッケージされた「受験勉強」を売り、学生保護者はそういうパッケージを購入することが「受験勉強」だと思ってる。マジで。そんなもん、いくらやったってまさに無駄。まあ根岸さんの意図が、そういうもんの否定にあるとすれば(たとえば大学定員を大幅に減らしての受験地獄復活とか)それはそれで正しいと思うけど。

競い合いしのぎ合いひたすらガリガリと脇目を振らず修行僧のような生活をする「受験風景なんて、大学全入の現代にはもう消えたんだ。そういう「勉強」には、自分の頭で計画を立て、調べ、実行したり、無意味なまでに特殊な方面への完成度を高めたりなど、意外と学問の基本となる領域に近づく部分もあっただろうけどね。

言わないであげてるのに。

言わないであげてるんだけどね。

ほとんどの女の人がそうなんじゃないかと思うんだけど。

あそこが本当にみっともない大きさだとか、

早漏だとか前戯ヘタくそでぜんぜん気持ちよくないとか

あんたで一回もイったことないとか

元カレとするほうが100万倍気持ちよかったとか。

言っちゃったら立ち直れないんでしょう?

一回も口に出したことがないから

そんなこと思ってるなんて全然知らないんだろうけどね。

でも男の人って女の人の短所はどんどん言うよね。

もうちょっと痩せろよとか胸小さいねとか、

自分はどんな立派な人間なんだよと思う。

男の人は女の人よりも、そういう事いわれる耐性がついてないように感じるから、

言わないであげてるだけなんだけど。

ただの私の勘違いで別に言われても平気なのであれば

今度何か言われたときに反撃させていただきます

http://anond.hatelabo.jp/20101009175345

かいってやつが馬鹿としか言いようがない。

というか、別に元彼と遊びに行くという関係性があっても良いじゃないですかね。ツイッターに書く時点で彼氏は了承してるわけだし。相手の彼女が知ってるかは相手の問題だし。

彼氏もOKしてる状態で元彼に会うと言うことを、「尻軽」とか「ビッチ」とか馬鹿じゃねーのと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20101009184643

「良くも悪くも変わらない」って、「良くも変わらないし悪くも変わらない」(良くも悪くもならない)って意味じゃないか?

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