[2010.1.23]
この事件は、釈放中の受刑者が嘘の自供をした為に捜査が打ち切られ、真犯人が野放しになっている。
有罪の根拠とされていたDNA鑑定で別人である可能性が出てきた為に、無罪判決が出るという事になっているのだが、では、真犯人はどうなるのであろうか。
釈放中の受刑者は、被疑事実については無罪なのかもしれないが、自供によって捜査を妨害し、被害者の無念を晴らす機会を喪失せしめた事について、どのように考えているのであろうか。いずれも時効が成立してしまっている為に、今更蒸し返す事は出来ないのだが、嘘の自供をした事に対して、道義的な責任が存在する筈である。この責任を、どのように果たすつもりなのであろうか。無罪判決を受けても、この責任について、無罪となったわけではないのである。
自分の事だけしか考えず、被害者やその遺族の無念や、真犯人を野放しにする事に考えが至らない思慮の浅さは、長年の刑務所暮らしをしても、変わらないようである。
捜査担当者や検察官に対し、犯罪を認める嘘を述べたのは、厳しい取り調べを受けたからであると主張し謝罪を要求しているらしいが、捜査担当者や検察官は、被疑者を取り調べる職務を果たしていただけである。大量の犯罪者を見ているそれらの人々は、本当にやっていないのであれば、どんな証拠が出てきても証拠の捏造を訴え、無罪を主張すると、経験的に知っている。また、証拠が事実であっても無罪を主張する精神異常者か、社会的に失う物が大きすぎて認められないという状態であるかどうかを見極められるというレベルにまで、犯罪者を見慣れている。そういう観点からだと、証言があやふやな被疑者は、精神異常者でないのであれば、犯人である。
証言とDNA鑑定だけという立証であった為に冤罪が発生したとも言えるが、釈放中の受刑者の側にも、社会性の欠落という原因があった。釈放中の受刑者と捜査機関の対立は、どっちもどっちであり、不毛である。そして、殺害された被害者とその遺族の無念だけが放置されている。彼等は誰を憎めばよいのであろうか。
最近は、精密司法へと起訴基準が変わっており、自供が無くても有罪が確定的な犯罪しか起訴しないようになってきている。自供は、他に犯罪が無い事を確認する為と、量刑を決定する際の更生の可能性を測る基準にしか使われない。懲役を受けている最中に他の犯罪事実が明らかになると、心証が悪く、確実に刑期が伸びる。自供を求めるのは、まさに、被告の為となっている。
取調べの可視化という話が出ているようであるが、公職にある政治家の日々の活動こそ、可視化するべきであろう。勤務時間中は長時間録音が可能なICレコーダーを持ち、全ての会話を記録し、誰と会って何を話したかをテキスト化し、議事録として関係者に内容の確認を得た上で公開することは、webを使う事で不可能ではなくなる。守秘義務やプライバシー等の理由で非公開にするならば、何年後に公開という条件をつけて非公開としておけばよい(cf.[2003.9.29])。検察の任意聴取の内容も、自ら公開できるのである。下に可視化を求める前に、自ら可視化を実行してみせるべきである。今まで求められてこなかったから政治家はやらないが、警察・検察はやれというのでは、たんなる嫌がらせでしかない。
なんで「国」って単語を出すとそういう発想になるんだろう?
俺は別に「御国の為」とかサヨクの脳内に主に生息してるような仮想ウヨクみたいなことは考えちゃいないが、
やっぱり次世代に繋げなきゃいけないっていう感情はあるぞ。
横だが、国のこと気にして結婚するやつなんかいるのかよ。気持ち悪いだろ。
珍獣くえす [2010.1.30]
生産性の向上とは、ようするに、工程の見直しによる節約や合理化、賃下げ、人員整理といった国民所得を引き下げ、雇用を切り捨てる事である。
切り捨てた側は、一時的にバランスシートが良くなり、株価が上昇したりするが、これらの行為は、継続して行う事が出来ない。今年成功したから、来年も再来年もという、事業としての継続性が存在しないのである。
切り捨てられた側は、下請け企業ならばコストダウンによる利益幅の低下が発生し、労働者ならば賃下げによる消費性向の冷え込みや解雇による無職化といったリスクが発生する。
生産性の向上が景気の回復に繋がるのは、唯一、向上した分だけ生産高を高め、販売できた時である。解雇も賃下げもせず、生産量の増加だけを達成し、価格を据え置いたり引き下げたりして、消費者に大量に、湯水の如くに供給して換金する事が出来る場合に限られる。
そのような商材や売り先が、今、どこにあるのであろうか。
商材や売り先が無い状態で生産性の向上を進めるということは、縮小再生産を行うということで、産業が支えられる人口が減っていくという事になる。解雇されてはじき出された人は、社会保障が支えるとなるが、その原資である税収も減るので、遠からず、破綻する事になる。
ケインズ主義の総需要を増やす為に財政出動という話にしても、その財政出動の乗数効果が実効税率の逆数以上でなければ、財政赤字を増やすだけとなり、かえって消費や景気を冷え込ませるのである。
行うべきは、生産性ではなく、創造性の向上であり、アイディアや技術の実現を奨励し、懲罰的賠償金制度のような、チャレンジを妨害する制度をやめさせる事である。
無条件にやめさせることは出来ないので、問題となった装置や製品の市場占有率を基に、支配的立場にあるメーカーに対しては請求できるが、そうでないメーカーには請求できないというような制限をかけるだけでも、サードパーティが増え、市場における競争を発生させる事が可能となる。特許においても、独占型の場合には無条件で支配的立場になるが、非独占型であれば、市場占有率が十分に低ければ支配的立場にはならないという逃げ道を作れるのである。特許は本体が持ち、実際の製造は子会社や協力企業にばら撒く事で、問題の発生した製品を製造している企業は沢山あっても、どれも支配的立場にないから通常の賠償は負担させられるが、懲罰的賠償は被らないで済むという回避が可能になるのである。
不都合の出てきている制度の改廃こそが立法府の本分であり、財源が無いのに税金のばら撒きをやるべきか否かや、どこにばら撒くか、あるいは、ばら撒き先との癒着である賄賂等の政治と金の問題でゴタゴタしているのは、与野党共に、本分を忘れているとしか思えない。
自民党から追い出された議員達が与党になっているが、自民党から追い出された理由であるお金の問題や失言や暴言は、全然治っていないようである。自民党だったらとっくに辞職や離党勧告モノである。実際に追い出されているのに、反省していなかったようである。野党暮らしをしても人格は陶冶されないというのが、政治家という職業なのであろう。
>日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。
なんていうかこういう一文があるだけで説得力がなくなるよね
サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人?
日本が敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会の議員になった者までいた朝鮮は、敗戦の責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。
敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域が独立国として建国していく過程で、朝鮮人は敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦国日本に帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人の海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。
そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシアの傀儡である金日成が中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシアは満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島に橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島に橋頭堡は築きたいが、連合国である中国やロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。
それらの打算から、北鮮はロシアと中国の国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカの保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。
この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本に密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争避難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。
いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。
サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本が台湾や朝鮮を独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍を喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。
引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島に上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本に密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争避難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民は帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。
日本の海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。
これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本の学校を卒業したのか、近現代史や公民の単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。
外国人は外国に国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権・参政権を行使するのが筋である。日本の参政権は日本国民固有の権利であり、日本に帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。
間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。
妄言は、個人の愚行である。妄言を妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史や国境や国民性の認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言を妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争の根本原因となるのである。
言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。
元増田です。
【私は甘ったれてるとは思わない。親の影響力は絶大だし、子供が親に注ぐ愛情は、まさしく「無償の愛」。元増田は育ててくれたことに感謝の言葉を言ってるんけれど、その親だって、また、その親(元増田のじいさん、ばあさん)に育てられているのだから、「恩を送った」に過ぎず、子供に感謝を求めるようなことではない。親なら育てて当たり前。】
こうした考え方があるんだなって初めて知りました。
『恩を送る』
言葉だけ聴くと語弊を生みがちかな?って思いますが、それこそうがった見方だと思います。
【だけど、結婚したからといって、自分の両親と同じ家庭を再生産するとは限らない。それこそ相手のあることなのだから、うまく「まともな家庭」の人と結ばれたり、そうでなくとも、手を取り合って、今までの不幸を乗り越えて幸せになろうと思える相手とめぐり合えるかも知れない。まだまだ「こうなっちゃう」と決めつけるのは早い。 元増田と元増田のお父さんは、まったく別の人間なのだし、まったく別の時間を過ごしてきいているのだから、まったく別の家庭になるかも知れないよ。やってみても悪いことはないんじゃないかなあ。】
わかるんですよ。自分も頭の中ではわかっているつもりなんです。でも、どうしても頭の中で『無理だ』となってしまう、、、他者との係わり合いから逃げているだけかもしれませんが、、、それ以前に、もうまともに他者との人間関係を結ぶ気が起きないうえに、家庭内の事情(父の言動・行動)ばかりが気になって揉めるのがいやで他者の誘いを断り続けて、、、友達?いるんですかね?って状態。恋愛?したことない。付き合ったこともありません(魔法使いではないですが、、、)知り合いにも連絡を取ろうともせぬまま時間がたち、連絡しづらくなり、、、そのまま疎遠に、、弧独まっしぐらです。そんな状況で『結婚』なんてものもましてや『コンカツ』なんてものも考えられません。