ワンピースにはたくさん可愛い女の子が出てきます。でもワンピースを読んでいる男の子はみんな女の子が好きなわけではありません。それで私はいつも「この人の中ではノーマルな恋愛観しか存在しないんだ。」と思い込んでいました。それがどうでしょう。この本の中ではニューカマーと呼ばれる性的なマイノリティの人たちがすごい活躍をしていました。ボンちゃんとルフィの間に友情が成立するように、同性愛者と異性愛者だって偏見なしに友達になれます。私たちが、偏見という監獄の中に彼等を閉じ込め、日の当たらない処に追いやっていた。そんな作者の叫びが聞こえてきます。彼等がルフィと脱獄しているということはそういうことです。今やっと、声なき者の声に耳を傾ける漫画家が現れました。 - http://okena0.blog45.fc2.com/
「幕末の志士カッコイイ」「尊敬する人:坂本竜馬」という言ってる奴は
気持ち悪いわーって思うけど根は同じなのかな。
まぁ、どうでもいいけど。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d5a3a2bcc1ede917c0a77ccbf76959ed
小泉のときは与党で改革イメージ出してたから地方の利権派と都市部の改革派の支持を両方取れたし、2001年は野党も民主自由社民と候補がばらばらだったから大勝できた。でも今は自民党は野党だから地方の利権派はついてこないし、一票の格差もあるし、当時より民主候補も統一されてるので構造改革路線で勝てるわけがない。あと比例の得票数では2001年小泉自民<2007年小沢民主、2005小泉自民<2009鳩山民主なのでこれをみても小泉ほどのブームも起こせそうにない河野が勝つのは無理ってのは明らかだろう。地方区は定員一人か二人で自民民主以外が勝つのはほぼ無理だが都市部は3人いい上あるのでみんなの党が都市部で候補立てて躍進させるほうがまだやりやすいはず。もともと参院の議席もないし、比例は社民並に取れてるので増やせるのは確実。
みんなが大好きな性別脳だと、女性は脳梁が太いせいで感情の起伏が激しいから、必ずしも向いてるとは言えないんじゃないの?
共同作業と言い得る全てのものは貴方にとって嫌悪の対象だったのかな。
嫌悪の対象でしたね。
共同作業に協力するつもりで動いても
それってリーダーシップじゃなくて、
とか考えてるだけなんじゃねえの?
まぁ、良く言えば従順。
または適応力が高い。とも言えるか。
思うに組織がフラットなときは女性がリーダーシップを発揮して組織が階層型のときは男がリーダーシップを発揮するんじゃなかろうか?
前にどこかで読んだけど、
会社に入ってから割り振られる役割で、男性は司会やチームリーダーなどを任されがちだけど同じ総合職(それも昔は少なかったが)でも女性はサポート的なものを割り振られがちで、入った当初は変わらなかったのにしばらくすると固定化しちゃうんだってさ。
でも女ばっかりの職場(たとえば看護師)ではやっぱり女性がリーダーシップをとるから、結局なれなんじゃないの。みんなが大好きな性別脳だと女性の方が視野が広いから管理職には向いてるはずだしね。管理職につける女性がすくないから、女性の方がよいという認識はまだ得られていないと思うけど。
微積がなんで壁になるんですかねえ…。
その特徴的な理解のしづらさ、とは何なんだろう。
極限の概念ってわからない人には全くわからないものなんですかね。
高校時代、下に凸(で単調増加)な関数の平均変化率でΔxをどんどん小さくしていくと傾きが減少していってある傾きに近づくよね、みたいな説明をされたとき、隣にいた女の子が「いや傾きが減少していくんだからいずれ直線は水平になる」と言って、「ある傾きに近づく」という概念が全く理解できていない様子でした。
一つ一つレベルあげして。
ここでこのアイテム使って…みたいな感じで解いて。
大学以降で出来なくなるのならわかるけど、でも純粋数学以外は数学も物理もツールのひとつでしかないから、プログラミングができるか否かみたいなもんだと思う(純粋数学は新しい言語を作るとかそっち方面に近い。才能がないと無理)。できない人はいるし簡単なのしかわからないひとも多いだろうけど、興味があったり必要だったら出来るようになるもんだと思うけど。別に特別な才能要らないし。
みんな数学を怖がりすぎなんだ。
俺も学校行事の団体行動は嫌いだったけど、それってやりたくもない事を押しつけられている事への反発であって、団体行動自体に罪があるわけじゃあないんだよ。きっと。
増田の言うフットサルのように、志を同じくした者同士で行う団体行動ってのは楽しいわけだし。(それすら、ダメ!って人も中にはいるのかも知れんが)
女子校に行くと男子に頼らずにすむからリーダーシップが身につくとか言う意見をたまに見かけるが、自分の経験では生徒会とか行事とかでも男子不熱心女子熱心で女子が男子にやる気出させようとするという光景をよく見かけた。子供のころは女のほうがリーダーシップがありそうなのに大人の会社ではなぜか男が上にいるのは何でなんだろうかと思ったもんだ。
横だけど俺に取っては
・目的が上からあたえられたものではない
・その集団に出入りすることが自由だ
場合にはみんなでやった達成感を感じるかもな。
例えば今フットサルやってるけどこれは俺が好きで飛び込んでるわけ。そして仲間も同好の士なわけさ。そしてその外部には別にフットサルに興味がない人たちがたくさんいる。つまりそれに価値を感じないということも肯定されている、という世界観をサークル内で共有している。
文化祭とかってこれらの要素を一切満たさない催しじゃん?
そこがファシズムっぽい。
似てる状況としては、卒業式にアンジェラ・アキ(別にどの歌手でもいいんだけど)が来て生徒たち大熱狂!とか。その横でケッ!なってる人がいたらそれは俺の分身だ!
できない人に聞いてできない理由が理解できる
という前提をまず疑うべき
できない人にとっては「自分の頭の中で補完して理解」というのが具体的にどういうものかわからない
高校時代の国語教師がこんなようなことを言ってましたね。
彼女はかなり思考力的に残念な感じの人だったので、単に苦手なことに言い訳をつけてるだけかなーと思ってましたが、それを理由に積極的に避ける人もいるってことですかねえ。
人生の夢は、男からみる女のようなものだと気付いた。
それも心のしっかりしてあんまり男に気をゆるさないような。
おれはxxになるつもりだとかいいながら何もしないのは、
あの女のひといいなぁとかいいながら何もせずボーっとしているようなもんだ。
男女のことだからなにかどこかに道もあるのに、何もしないと、その道も通れない。
また、人生の夢にたどりつくためには、女性を想うように一心になってやらないとなんともならん。
これが勘違いでもいい。
勘違いでうまくいけばそれでいい。
これが女からみた男にも相当するものかどうかそのへんはよくわからん。おれ男だしな。
共同作業して成功する楽しさってことなんだけど・・・。
例えばスポーツならサッカーとか野球とかバスケとか、何でもいいけど。
共同作業と言い得る全てのものは貴方にとって嫌悪の対象だったのかな。
しかしそんなやってないも同然なものでもそれがいやな人から見ればやりすぎに見えるのだろう。これまでもこれからも、、、。
はっきり言えば我々は戦争ですらも「やってない」。あんな陸軍海軍の足の引っ張り合いは戦争しようとしてそれに踏み切れなかったどっちつかずのグズグズ行為でしかなく、意志のある国家としての行為ではないのだ。問題は結果ではなくしたか、しなかったかなのだ。
「やる」というのは意志の問題であり状態の問題ではない。
そしてその歴史はカタストロフ後のゾンビ社会でも連綿と続き、そしてこれからもつづくのだ。
やらない理由ばかり探して。
http://anond.hatelabo.jp/20090920183717
軽くぐぐってみた。
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/177/
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/sinbunga.html
「欧米には、このようなジャーナリズムの独立性に疑問を抱かせる『記者クラブ』のようなシステムは存在しない。代わって、ジャーナリストならば誰でも、情報源への自由なアクセスを保障する制度を設けている国が多い。米国の『ホワイトハウス記者証』やフランスの『プレスカード』などは、その典型例であろう。『ホワイトハウス記者証』は、ホワイトハウスをはじめ各省庁への取材を可能とする記者登録証で、基本的にジャーナリストであれば差別なく発行される。登録にあたっては、米国財務省管轄下のシークレット・サービスで、身分や経歴などのチェックを受けなければならないが、テロリストやテロリズムとの関係が無ければ、まず記者証は発行される。日本のように、日本新聞協会加盟社の記者でなければ、『記者室』の使用ばかりか、記者会見などへの出席まで認めないという差別は行われていない。日本共産党機関紙『赤旗』の記者で、初代ワシントン特派員だった堀江則雄氏も、『厳重なセキュリティ・チェックをへて、4ヶ月で記者証を入手できた』ひとりだ。堀江氏は、その時の感激を、著書でこうあらわしている。『日本の各官庁から排除されている『赤旗』の記者が、ホワイトハウスで記者として初めて、公然と認められたのである。…ホワイトハウスの記者証が出ると、つづいて国務省のそれが、そして議会の記者証が上院のプレス・ギャラリーからすぐ発給された』『議会の記者証を手に入れると、上下両院のプレス・ギャラリーに自由に出入りできる。上下両院の本会議場を見下ろし、取材ができる3階に両院それぞれのプレス・ギャラリーがある。タイプライターとワープロが置いてあり、だれでも自由に利用できる。ところが、日本の国会記者クラブとは違う』(『もう1つのワシントン報道』)
理科は数理科学を含むのであれですが、社会や国語は、教えられて理解できない人はそういないでしょう。
英語は脳の言語処理ネットワークの最適化の問題があるから別ですが。
義務教育の時点で、社会ができないというのは単に覚えていないだけであって、教えればその瞬間くらいは記憶してるわけです。
ところが数学の場合、現役で教えられてる状況ですら、どんなにがんばっても理解できないという人がかなりいるわけです。
とまぁここまで書いて思ったのは、数学の場合積み重ねが必要だから、というのはあるんですかね。
社会ならいきなり近代史に行ってもそう問題は無いけど、数学の場合いきなり微分やるわけにはいかんわけで。
そうすると、教育の比較的初期で数学が理解できる人とできない人の差は何かっていう話になるわけですが…。
別に自慢にも何もならないですが、俺の場合小学校時代数学(算数)で困ったこと全く無いんですよ。
それは俺の脳が初期状態で言語別脳内ネットワークのような何か変わった構造を持ってたりしたってことなんですかねえ…。
それとも単に「積み重ね」効果によって初期状態の微妙なバラツキが指数関数的に拡大するようなスケールフリー的構造があるってだけのことですかね。そんな気もしてきました。たとえばガロアみたいな超天才の世界では別の構造があるとは思いますが。