結局、リアルで知り合い作れない属性の人は、ネットでも同じなんだよ。ネットならレスポンスもらえるかなとか何の根拠もない希望論だった。
ここで晒し者にして何がしたいのだろうか。
知り合いが、仕事関係しかいない。それも仕事としての付き合いしかしない。遊びにいく知り合いもいない。学生時代の知り合いは今どうしてるのかわからないし、元々数えるほどしか知り合いがいなかったし。
仕事も枯れた技術ばかり。仕事の中での工夫は惜しまないけど、今の時流みたいな話はまったく無し。だってちょっと前までVAX使ってたような会社だったし。
携帯を持ってない。だって使わないんだもの。遊びに誘われたりもないし。
せめてネットだけでも、人からレスポンスがもらえたらなと思ってブログを作ったことがあるけど。日々の話題とか自分がかいてもくそも面白くないから、技術的な話題くらいしか人によませるものがかけない。レスポンスらしいレスポンスがあったことなんてない。たまに検索で引っかかって迷い込んで来る人がいるくらい。数年やってたけどやめた。
一回だけ、偶然気づいたあるもののセキュリティ上の問題について記事にしたら、2chに張られて沢山アクセスがあったけど、そのときだけ。それで知り合いができるわけでもないし。
結局、リアルで知り合い作れない属性の人は、ネットでも同じなんだよ。ネットならレスポンスもらえるかなとか何の根拠もない希望論だった。
尊敬している技術者たちが、twitter をやっているからやり始めてみた。すごいと思う人たちをフォローしてみたり。でも自分が他人からレスポンス貰える機会をつくれない。眺めるだけ。そりゃーフォローするのは勝手だし、気楽につぶやけっていうけど、誰もみてないのにおはようとか飯くうぞーとか言えるわけないだろ。全くの知り合い0から始めるのはきっついサービスだと思った。いや、ラジオみたいでおもしろいんだけどね。聞いてるだけでも。
まあそれでも、自分の思ったことや経験を伝える相手がいないのは少し寂しい。一週間に一人検索で偶然飛んできて、一年に一人の役に立つんでも0よりはいいかなって。
それではてなに登録しちゃった。
ここならレスポンスもらえるかもなんて思ってないんだから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80
建築史的には、モダニズムのデザインが「文化財」として理解されにくいとされる。この建物は当時シンプルで斬新なデザインとして高く評価され、時代が進んだ現代でも、そのシンプルさは専門家からは高い評価を受けているが、メンテナンスが万全でないことなどから、単なる古臭いビルとしてみられがちである現状となっている。
http://jun.typepad.jp/junhara/2009/03/post-71e7.html
ところで中央郵便局ってそんなに立派な建物なのだろうか。有識者の検討会議が保存を求めたらしいが、素人目にはどこに価値があるのかよく分からない。局舎には何度か入ったことがある。カウンターの奥にも入ったことがある。確かに重々しい作りではある。中で働く人はさぞ使いにくいだろうなと想像する。概観はそれほど立派でもない。どちらかといえば薄汚い感じがする。東京駅前にふさわしいかどうか議論があるところだ。
livedoor Readerのフッタが先日から突然消えてしまった。
とても悲しい。
あんなのいらないじゃん、と消していた人もいるかもしれないけど、フッタの文字が無い部分をクリックすると次の記事に進めたのだ。
しかも、設定次第では、マウスのホイールで次の登録フィードに進めたのだ。
つまり、
クリックで記事を進んで
興味深かったら、本文位置にカーソルをずらしてホイールで記事をスクロールさせて
またクリックで次の記事へ…
と、かなりスムーズに見れたのだ。
しかし、この改定によって、LDRの快適な閲覧がちょっとし難くなった。
故に仕事がはかどるかもしれない。
気に入らない奴には自分の先祖を祀られたくない、という気持はわかる。
だからといって誰にでも(宗教法人靖国神社にも)宗教の自由はあるわけで。
お互いの自由と権利を認め合うのが平和への道。
アリーの子孫じゃないとダメだ、いやそうじゃない、という争いがシーア派とスンニ派の対立のもとになってる。
「多数派のスンニ派(国によってはシーア派)が嫌がってるんだから反対派は禁止」
なんて簡単に決めたら血の雨が降るw
いや笑い事じゃなくて。
金持ちの旦那が死んだ後でお妾さんが勝手に位牌を作って祀ったら
本妻はそりゃ気分がよくないだろうけど、「妾から位牌を取り上げてくれ」
なんて裁判を起こしても勝てないだろう。
よほどのことがなければ本妻のほうがひどい、心が狭いと言われるはず。
http://www.cyzo.com/2009/03/post_1648.html
池田氏の寄稿が掲載されたのは、1日の毎日新聞「オピニオン」の欄。「危機の打開へ若き活力を」と題された文章で、池田氏の写真および「創価学会名誉会長」という肩書きとともに「モスクワ大学など世界の学術機関から248の名誉学術称号受章」などの経歴も付記されている。
248って、毎月一つのペースでも20年以上かかるんだが、底なしの名誉欲だな(笑)。
まさに「過ぎたるは及ばざるがごとし」だな。
生きることは、その問いに答えつづけることだ。
…人によっては納得できるような出来ないような話でしょうが、私はこれを人生の指針にしています。
仕事以外で他人と口をかないが、人の嫌がる仕事を黙々とやったり、集団に対して利益のある行動をしても、集団に対して貢献してないと言われる。
みんなと公平に口を利いて、一緒に食事したりすると、仕事は自分のノルマだけをこなしてさっさと帰っても、集団に対して貢献してると言われる。
正直、日本人の大半は他人の仕事の評価なんて出来ない。好感度の高い人間の評価を高くして、好感度が低い人間の評価を低くするだけ。
そりゃぁ、集団としての日本の国力が低下するのは当たり前。
現常務理なのはその通りだが
きちんと、平地を所定の農家が所有できれば
普通に大規模化できるだけの平地はあるんじゃね?
飛行機とかで見下ろしても、一定の平地は続いているけど、小分けされてるのが問題。
ワールドビジネスサテライトでは、相続が問題だっていってた。
同番組の中でも一定の平地が移されていたので、必ずしも大規模化は不可能とは言えないと思う。
企業側の都合による営業上の自衛?。(企業側が、問題が起きたときにあなたに)問い合わせるために必要って事かと。
あなたが悪いワケじゃない。
どうしても気持ち悪いなら、消費者相談センターへ相談して、センターから電話かけてもらうぐらいからやったら?
権利上は削除要求は正当な権利、やりたければ、やった方がよいよ。気が済むまでやりなよ。おかしくないよ全然。
その上司のやってることも悪質なパワハラなので当該男性および上司の言い分などを記録・録音してもう一度相談に行った方がよいと思う。あと周囲の人たちが知っているのなら、二人きりにならないように配慮してもらえたりできないかな。あなたは何も悪くないんだ。今はやめるのはきついかもしれないけど、異動願いなどはだせないのかな。年度の変わり目だから今は難しいかな。
・それでもダメな場合は、社外の管轄組織に言う。労働基準局とか。
綱領なき「選挙集団」 政策は二の次?
昨年10月下旬、民主党の若手衆院議員、長島昭久は国会内の廊下で同党政調会長、直嶋正行に詰め寄られた。
「あれはどういう意味なんだ」。数日前、長島は衆院テロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策で海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を首相、麻生太郎に提案していた。自衛隊の海外派遣につながることを懸念する直嶋が、長島に真意をただしたのだ。
長島は、安全保障はじめ国家の根幹にかかわる基本政策で路線が異なる国会議員と同居する同党の実態を思い知らされた。
「長島案」にとびついた政府・与党はトンビが油揚げをさらうごとく、ソマリア沖への海自派遣をとんとん拍子で決めた。
民主党は平成8年に旧社会党と旧新党さきがけの一部が合流して産声を上げた。10年には民政党、民主改革連合などと合流し、15年に代表、小沢一郎率いる自由党と合併した。しかし、党の追求すべき理念や目標を明記した基本文書たる「綱領」をまとめたことがない。
10年の合流直前に当時の民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫ら政策担当者が合併に向け基本政策の調整を行ったときのことだ。「綱領をつくるのはやめよう」と切り出した枝野に異論は出なかった。結局、「最低限の共通項」(同党関係者)を確認する「基本理念」を作成するにとどめられた。
もともと結党の原点は、自民党に対抗する二大政党の一角となるための「プロジェクト政党」だった。このため、民主党はいまも憲法や教育、安保、外交など足並みのそろわない基本政策は事実上、棚上げにされてしまっているのだ。
政権を担う政党として、あるべき国家像をどう描いているのか-。最後のとりでの基本理念でも「地球社会の一員として、自立と強制の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざす」と書かれているだけだ。
党中堅はこう言う。「原則を言い始めるとバラバラになる。理念で集まっているわけではなく、何が何だか分からない政党だ。綱領なんかない方がいい」
綱領なき政党のひずみは、個別政策の一貫性のなさに如実に表れている。
終身刑創設、永住外国人への地方参政権の付与、人権侵害救済機関の創設…。民主党の基本政策を網羅した「政策INDEX2008」について党内の保守系議員から「第2社会党とみまがうような政策が並んでいる」という批判も聞こえてくる。
小沢の変化も激しい。小沢は平成5年に上梓(じょうし)した自著『日本改造計画』には、規制緩和や自己責任、「小さな政府」を志向する政策を打ち出し、少子高齢化の到来に備え、消費税率を10%に引き上げ社会保障費に充てるべきだと訴えていた。
ところが小沢はいま、「国民の生活が第一」と唱え、消費税率の「現行5%の維持」や「子ども手当」と農業者戸別所得補償制度の創設など社会的弱者に配慮する政策を掲げる。かつての持論は吹っ飛び、「バラマキ」路線をひた走っている。内政だけではない。
「第2次大戦において歴史、民族、言語、文化などまったく異にする2つの国が死力を尽くして戦い、戦いが終わると太い絆(きずな)で結ばれた。その太い絆が日米安保条約だ」
日米同盟について『日本改造計画』でこう力説していた小沢は、米国が主導するテロとの戦いに背を向け、「米国の極東での存在は米海軍第7艦隊だけで十分だ」とまで言い放った。
11年に小沢が党首を務めていた自由党が自民党との連立を組む際にも、小沢の変化を象徴する出来事があった。関係者によると、自民党サイドが事前に「自由党の安保政策はのめない」と小沢に通告したら、小沢は「いいよ」とあっさり受け入れたという。
新進党時代に小沢と一緒に行動をともにした自民党閣僚経験者はこう振り返る。「小沢の口癖は『公約は膏薬(こうやく)。張り替えれば効き目がでる』だった」。友党の国民新党代表代行、亀井静香も「小沢にとって政策はアメのごとしだ」と指摘する。
「民主党は政党ではなく『選挙集団』。小沢にとって政策は二の次だろう。100年に1度といわれる世界不況の中で、このまま政権交代となれば国民は小沢に白紙委任状を渡すようなものかもしれない」
別に戦慄を覚える必要もなかろ。
PCに出来て携帯に出来ない事を把握していれば、何かと彼らよりも優位に立てるんだからさ。しかも相手はそれに気づかないわけで、いくらでも利用の仕方はあるだろう。
携帯の話題じゃないけど「血液型占い信じてる若い子って扱いやすくっていいわー」と、口八丁手八丁で部下を言いくるめて割と無茶な仕事を割り振ってる女性上司を思い出した。