2007-08-02

Re: ほかの大学のやつと飲んできた

増田の言いたいことは結構分かる。けど、それは実は「賢さ」の問題じゃなくて「階級class)」及びそれに不随する文化の問題だと思う。想像するに、元増田はそこそこのレベル私立中高一貫の男子高から東大とか行ったんじゃね? 公立中学に行ってれば多分こういう勘違いはしないと思うんだけどなあ……。

少なくとも元増田くらい賢ければ、異なる文化には異なる知のありようがあり得る、ってこと位は分かるだろう。自分の育った文化だけが文化ではないことも。そしたら、今の自分には見えていない「異なる知」の有り様も見えてくるかもしれないし、同時に自らと自らの周囲の「知」の有り様を問い直すこともできるはず。

とはいっても、学歴が一種の「指標」たりえることは必ずしも否定しない。上で書いたように、「学校」は、その人が育った「文化」を意味するからだ。「氏より育ち」なんて言葉が昔からあるから言うわけではないけれど、少なくともナントカ大出身の上司は、同じナントカ大出身の生徒のことは「何となく大体雰囲気が分かる」から「安心」して採用するんだよね、つまり。偏差値というのはむしろ後付なもののわけで、たとえば他の増田たちも、親兄弟のことは、隣の家の兄ちゃんよりは普通「信頼」できるだろう?それと同じ。再度言うけど、それは「賢さ」の問題ではなく「育った文化」の問題。日本学歴社会だと思われてるけど、ホントのところ「(学歴階級社会」という方が近い。たとえば二人の人間が同じ年齢、年収でも、その人が育った「階級文化」が異なればびっくりするくらい両者の生活は異なってたりする。たとえば同じように子供に1000円小遣いをやったとしても、そのあとでドンキに連れてくか本屋に連れてくか、コストは大して変わらなくても十年後の結果は全然違うだろう。そこで本屋に行った子供が(全員ではないにしろ)どっちかというと偏差値の高い学校に集まるのだとすれば、偏差値の高い学校ほど「そういう文化」の雰囲気が形成されていくことは想像に難くない。逆にそういう文化を身に付けないで、本当にただ「勉強ができる」だけで偏差値の高い学校に行くと、周囲との文化的ギャップにそれなりに苦労するみたいだ。

ちなみに最後に元増田が言ってる

日本は知的エリートに対する待遇が悲惨だ

というのは、非常に賛成。「形の見えないものにカネを出さない」というのはホント日本の悪習だよ。アイデアとかシステムとかココロガケとかを評価しない。チャレンジトライしたココロガケを評価することができないから、「結果が全てだよフフン」とふんぞりかえるのが西洋的で合理的で近代的だと考えてる……ホントは評価能力がないだけなのに。そんで逆に形の無いものが現実に影響を与えたりすると過剰に怖れ、クレームとか世間とか空気とかを無意味に怖れたりする。で、そのうちバカみたいな新興宗教をあがめてたりする。始末に負えない。逆に、そんな国民に黙って奉仕してる知的エリートの人々はホントに偉いと思う。少なくとも、仕事で付き合いのある官僚の人たちは、真面目で有能で熱心で私生活でも感じの良い人たちばかりだ。昨今の公務員バッシングはホントにつくられたモノだと思う。それだけに、その手のニュースを見る度に辛い。

とりあえず元増田には、頭を柔軟にしつつ、その上で頑張って理想を持って生きて頂きたい、とお願いするよ。

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