われわれが『科学的客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性の産物ではない。
そうではなくて科学的方法の社会的あるいは公共的性格(social or public character of scientific method)の産物なのである。
科学および的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。
そうではなくて、多くの科学者たちの友好的-敵対的な協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである。
ポパーがこんな事言ってるし哲学者や社会学者で似たような事言ってる人達は沢山いて
自分もこの手の主張にそこまで反対はしないんだけど、
ただ現実的に一定の手続きを満たした結果は正しいとする科学者が沢山いるのも事実だと思うんだよな…
コンピュータにチェック出来るような証明支援系システムを用いたものがある。
ある人間が支援システムに基づく証明を提出して、その前提と結論を理解出来る数学者が沢山いた場合
理解した数学者はその人間の証明を一切の疑いも無く正しいと言うだろう。
せいぜい存在するのは証明文が誰かのをパクったか等の証明の正しさに関係ない問題だけである。
証明文を提出した人間にどんな人格的・思想的・政治的・社会的な問題があろうと
証明自体は正しいと言う科学者が大勢いるのは当分の間は確実だと思われる。
だからその「結果が正しいとする科学者がたくさんいる」ことが社会における最終的な正当性の保証なんだから ポパーが言ってるとおりじゃん