自分のこと女だと思ってるから、「名前聞いた時男だと思った!」の一言に少しだけ疲れる。
それだけじゃん?と思うかもしれないけど、間違える人にとっては一度でも、私にとっては頻繁なことで、小さい疲れが蓄積してきた。
「男みたいな名前w」も、きっと他人から見たら些細なことなんだろうけど、言われ続けると辛かった。
(私自身ブサイクで、ショートカットだと「顔を見たら女性だとわかりました!」とならない容姿なのも原因ではあったが。)
社会人になり、内勤になり、新しい人と出会う機会が減って、やっと楽になった。
そもそも「男に間違われる」という出来事は、"周りの人達"が名前で性別を判断するから起こることだし、
「男に間違われて辛い」という感覚は、"異なる性別と思われることは変なこと(普通間違われることはないから普通じゃない)"という思い込みから生まれたんだろうと思う。
だから、これから生まれて、ジェンダーレスネームをもらう子供達を呼ぶ大人達の認識が変われば、名前で性別を判断することもなくなるんだろう。
そして、「自認している性じゃない性に思われることはおかしいことじゃない(あなたは傷つくことじゃない)」と子供たちに正しく伝えられるなら、性を間違われて辛い思いをする子供たちもいなくなるんだろう。
ジェンダーレスネームをつけるのもつけないのも自由だけど、今はジェンダーがわかる名前の子供達とわからない子供達が入り乱れる時期で、
そんな過渡期にジェンダーレスネームをつけて、「私の子供から・私の世代から認識を変えていく!!」と覚悟できる人はすごいなあと思う。
ちなみに、「自認する性が体の性と違ったときに困らないように」という理由なら、別にジェンダーレスネームにする必要はないと思う。
たとえば「つばさ」と名付けられて、男になっても女になっても困らないようにしてもらって、実際に体と心の性が違ったら、「つばさ」という名前のままだと、もう心が選ばなかった方の性のイメージが付き纏うままだから。
(それを付き纏うと感じないように育てるつもりならジェンダーレスネームにすればいいけど。)
だから、どんな名前をつけても、「変えたくなったら変えていいんだよ」と伝えておけばよくて、それがジェンダーレスネームである必要はないと思う。