私にはずっと推しているカップリングがある。ジャンル的にはそこそこメジャーだけど推してる二人はマイナーで細々と自給自足していた。ブクマも少し貰えたしコメントも嬉しかった。
だけど待てども待てども自分以外の作品が増えない。勿論書きたい話見たい話を書いてるから自分で読んでも萌えるんだけどそれでも他人が描いた推しが見たい。
悶々としていた所で、skebというコミッションサイトを見つけた。要は投げ銭式のお題箱で、コミッションは一般的に依頼者とクリエイターで何回もやり取りをし作品を擦り合わせていくが、skebは基本的に一回依頼文を送れば後はお任せ。だから当然解釈違いもある。
でもやり取りを極力避けたい私にはこの上ないサービスだった。速攻でジャンルを知っているクリエイターに依頼し、納品を待った。
作品が納品されたとき、冗談抜きで泣いてしまった。私以外が、大好きな二人を描いてくれている。たとえそれがお金の力であったとしてもだ。
そこからはたがが外れたように依頼を繰り返した。最初はせめてジャンルを知っている人を選んでいたが最終的にはこの二人を可愛く描いてくれそう!と直感で依頼をしていた気がする。とにかくそれでもたくさんの推しカプを手に入れることができて私はとても幸せだった。
「いくらマイナーで飢えているからって、推しを何も知らない人に描いてもらって嬉しいのか?」
なるほど、確かにそういう意見も最もだ。平たく言えば愛がない人に描いてもらっても意味がないんじゃないかと言うことなんだろう。
だが私は沢山依頼をしていくなかであることに気がついてしまった。
知らない人が見た推しカプ、口調その他諸諸解釈がめっちゃ新鮮じゃね?と。
うわ~こう喋らせるのか!私こんなの思い付かなかった!と納品が来る度に唸っている。
それが出来る人ってあまり居ないだろうし貪欲だなーと思いつつ、それでもどこかで完璧に相入れなくなる境界線はどこかに存在するのかなとも思ったりする
元から知らないって分かってるから解釈違いは前提で楽しめるのとてもいい。幸せになれる。