2020-12-04

父親になって、疎遠になった父親のことを考える

自分20歳とき、両親が離婚した。
それ以来10年間、父親とは会っていない。

就職した頃一度だけ電話が掛かってきたことがあった。
いくらか金を貸してくれないか」とのことだった。

小さい頃、父親のことを立派な人だと思っていた。
土日もなく朝から晩まで働き、家族を支える男の姿に尊敬と畏怖を抱いた。

でも両親の離婚が決定的になった頃、それは家族を疎んでのことだったと知った。
若い頃に無軌道転職を繰り返したことで、ブラック企業に身を宿すしかなかっただけだったと知った。
仕事の失敗を補填するために、家の貯金 を切り崩したことを知った。
かつての立派な父親像は消え去り、剥き出しのダメ親父そのものになった。

そんな人間自分はなるまいと、堅実な生き方を選んだ。
大学でも単位を落とすようなことはせず、就職先もお堅いところに絞った。
それほど高給取りではないが、それでも5年もしないうちに父親年収を超えていた。

3年前に息子が生まれた。
父親との記憶がロクにない自分父親ができるか不安だったが、生まれたばかりの息子を抱いたら吹き飛んだ。
こんなに可愛い存在を放っておけるわけもなく、休みの日は必ず家族と過ごしている。

息子がインフルエンザで高熱を出している時には胸が張り裂けるような思いだった。
息子に万が一のことがあったらと想像するだけで涙が出てくる。
もし自分の命と引き換えに息子が助けられるようなことがあれば、迷わずこの身を差し出すだろう。

最近父親の目に息子である自分はどう写っていたのか考える。
小学校運動会にも来なかった、中学校卒業式にも来なかった父親
いつか自分もそうなってしまうんじゃないか不安が湧き上がってくる。

息子の目に父親である自分はどう写っているだろうか。
それではお聴きください、エリック・クラプトンで『My Father's Eyes』です。
https://www.youtube.com/watch?v=bocDpFVhyDw

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