2019-06-02

anond:20190602220301

リアルな愛はご都合主義主人公補正がないからどっちかまたは両方が薄暗いものやらツライ義務やらを背負う(長期的にはだ。短期的には義務や辛さなどない組み合わせに見えることもある)

フィクションの愛はどちらも背負わなくてすむよう世界のほうに補正がかかる

商業化された愛は「どっちも背負ってないですよ」という顔をするために片方がものすごい努力をし、しかもその努力を隠す

無償有償かは長期的にみないとわからないが長期的にみて有償でやってることが多い)

フィクション理想リアルフィクションなみをめざさなければならない

勘違いする読者が増えると

「そのフィクション商業化推進してませんか」とフィクションに詳しい界隈から指摘や補正が入る

それに対する反論は「フィクションリアル混同するバカなんかいません。フィクションフィクションとして楽しませろよ」しかない。

だが実際はいる 中学生高校生あたりは必ず混同するし、

ここ増田にもなんか個人ヘイト感情平等勘違いしてるアホとかしょっちゅういる

 

まあでも結局のところ好みなんだよな

リアル恋愛でも100%幸せですっつって結婚して

老化してからこんなはずじゃなかったってやつらおるから

フィクションのせいじゃない「困り」の発生は必ずある。

しかフィクションに全く触れずに成人する人間もいない

シンデレラとか有名すぎる性差別フィクション

ので絶対フィクションのせいじゃないともいいきれない

 

すべてをフィクションのせいにするのはさすがにお門違いだが

かといってやめるときもすこやかなるときもと誓ったり「フィクションフィクションとわきまえた」程度で

困りがなくなるわけでもないんだよな

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん