表題の通りだ。俺は昭和60年生まれだが、この歌詞を尊んだ昭和人の感性がわからない(あえて術語をでかくするぞ)。
嫌いな理由を端的に述べると2つある。
まず、情景が飛び過ぎなのだ。
そして、飛び飛びのシーンそれぞれが象徴的でゴテゴテと飾り立てられている点だ。
一番の歌詞。
B 訃報の主が語り手を故郷? の駅で引きとめようとした3年前
ついでに二番の歌詞
こう見ると、舞台立ては「都会のステージ――駅――教会――教会――駅――ステージ」と整っているように見えるが、実のところバラバラである。
まずAが地味におかしい。
恋の歌歌う私に黒い縁取りの訃報が届くのだ。
冷静に考えるとステージ去ってから訃報を目にするのだろうけど、見かけ上ステージで歌っている語り手に郵便屋が届けたように書かれている。
そしてB。
Aがおかしいのにいきなり「あれは3年前」とか言い出す。
そしてC
そして良いシーンをこれでもかこれでもかと持ってくる。「ほれほれ良いシーンどんどん行くよー」的な過剰包装的な過度の装飾。
C-Dへの情景の経過はやや丁寧だ。昼下がりから夕方に葬儀が行なわれたのだろう。
そしてE。
駅に戻ってきたのは解るのだが、対称となるべきBの位置と異なる。
E暗い待合室
Eはラストへの布石になるし、一人になったことを示していて叮嚀な箇所もあるが、しかしどうも空間がずれている。
こんな感じで、情景が性急に飛びすぎな印象を強く受ける。
そして、それがさもありがたそうに語られ唄われる。今でも「昭和の名曲」としてありがたがられる。でもそれは虚仮だと思う。
なんつーか、下品な表現なんだけど、昭和のにわか成金、にわか教養人、にわか中流家庭に向けられた、安っぽい感動への舞台立てだなと思うのだ。
いかにも「名曲」のような装いをしているのだがその歌詞は人の死と愛を浅薄かつ性急にそろえただけのものだ。
こうした「インスタントな大作」感が気に食わないということだ。
ゴミを撒き散らすな
何一つ共感できなくてワロタ