「たしかに母と限りなく近い同質の苦労体験がなされない限り、共有はされない。」
何をもってこの増田母と等価の苦労をしたと客観的に判断できるわけ?
同じにするなら全く同じ時代・同じDNA・同じ容姿・同じ肉体・同じ時間・同じ環境・同じ心理状態・同じ行動にまでしないかぎりは
この増田母と等価の苦労体験なんて誰も送ることなんてできないんだが。
じゃなければこの増田母よりも苦労が多かったり少なかったりするんだが、その差はどこまで許されるの?
そしてその許しは誰にもらえばいいの?増田母にか?
なら全部この増田の気分次第ってことじゃん。
単に「分からない」ってお前がヒステリー起こしてるだけじゃん。
それだけ分かれば十分だろ。
よしんば全くの他人で肉体的にも精神的にも環境的にも違う人間を比較して同じ苦労を送っているなんてどうやって測定するんだよ。
だからお前はアホだっつってんだよ。
苦労を置き換えることができる指標なんてこの世に存在しないし実体験(経験)を絶対的な基準点に据えようとするから馬鹿だっつってんだよ。
そんなのなんの役にも立たないから。
もし役に立ってると感じたならそれはたまたま公約数的な価値感と自分の持つそれが偶然重なっただけのラッキーパンチなだけ。
それに気づかない内は何回も歴史を振り返らない凡ミスを繰り返し、起き上がるたびに「経験しないと分からない(キッ」みたいな反応して
自分の考えをより強固にしていく。
歴史を見れば既に自分と同じパターンでこけたやつはゴマンといるのにそれを勉強してこなかったのを反省せずにまたコケる。
だから死ななきゃ治らない。
では同じ論法で、正確に判断することがどだい不可能でかつ未知の分野への仮説と言うかたちを取るならば、 数学にならって全く宙に浮いた(と俺は思っていないが)理屈を並べ立てて...