2016-04-27

想像力千羽鶴

今日被災地支援於いて千羽鶴不要だという声があがっている。

被災地への千羽鶴 「いらなかった」の声続出-ニコニコニュース

http://news.nicovideo.jp/watch/nw2152972

これに対してツイッター上では

邪魔かどうかではなく気持ちを素直に受け入れられないのか。傲慢ではないか」など反感を買っているようである

被災者の「千羽鶴はいらない」に激怒する人達-togetter

http://togetter.com/li/967551

上記まとめ末尾で言われているように、お金という即物的なものを送ることへの抵抗感や

自分被災者の為にできることをしたという充足感、その両者を得ることができる形として

千羽鶴を送るというのは古来より婉曲表現を好む日本人らしさすら感じるし、そういった考え方を否定しない。

だがその一方で、ソーシャルネットワークなどによる情報共有の簡易化の為に顕在化したのか、

それとも実質的な数値の上でなのかは定かではないが被災地支援における千羽鶴問題存在するのである

千羽鶴が一切いらないとは言わない、だが避難所1つに有り余るほどの千羽鶴がある光景想像して欲しい。

例えば、あなたが不慮の事故病気によって入院したときあなたの病室には家族や親戚、友人が見舞いに訪れる。

そしてその一人ひとりが全員笑顔千羽鶴を抱えてやってきた時、あなたはどう思うだろうか。

最初はもちろん嬉しいと思うだろう。

でも2人目、3人目の見舞客も千羽鶴を持ってきたら?

貴方は限りある病室を埋め尽くす千羽鶴を見ながら、何人目まで「もうやめてくれ」と思わないでいられるだろうか。

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