今まで、自分から好きになる恋愛は、他の人が選ばなそうなそして自分に対してぞんざいな扱いをしてくる人ばかりを選んできた。
相手が好きになってくれて付き合う恋愛は、こちらが親代わりをするような、身の回りの世話をするという話ではなくて精神的に満たすことを要求されるものだけだった。精神的に満たす、というのも、ただ一緒にいるとか話しを聞いてあげるということではなく、相手がどういう風に思われたがっているかを読み取りそのように反応することや、どんなコメントが欲しくて話しているのかを汲んで応える、というようなことに近い。
振り返ってみれば、高校のときから恋人が途切れたことはない。しかし、他人に詳細を話し、羨ましいと思われるような恋愛は一つもない。むしろどうして毎回そんな風なのかと言われたことすらある。
多分、親が大きな原因だと最近思った。
自分がドキドキして、この人と付き合いたいと思う相手は、親に似ている。
お前はありのままでは価値がないというメッセージを態度や言葉で常に送ってくる、支配的、そして他人からどう思われたいかが透けて見え易くそれを満たしてあげるとこちらの存在を初めて肯定してくれるような人だ。
親の顔色を見ながら機嫌を取って育った結果、当たり前に他人にもそうしてきた。そうすると、今度は自分を持て余してる人から過剰に好かれた。
話しをめちゃくちゃ聞いて欲しがってる人、自分は面白い人間だと思いたい(けどあまり人に相手にされない)人、昔親にあまり相手にされなかったりひどい仕打ちをされて愛に飢えてる人など。それが、自分のことを好きだと言って付き合ってきた人たちだった。その人たちは必ず増長して、どんどん要求を増やし関係は壊れてきた。
自分がドキドキして付き合いたいと思う人も、自分のことを好きだと言ってくれる人も、どちらもロクな人じゃなかった。培ってきたはずの自分の物差しはまったく使い物にならない。
自分が、異性と新しく出会いたい関わりたいと思うときっていうのは、自分を他人に承認させたいという欲望だと思う。腐るほど出会ってきたし覚えておけないくらい恋愛した。それなのに、まだ出会っていない異性に期待している自分が憎い。
自分を満たす術に他人を選んではいけないんだと思う。ニムラヒトシさんが言っていた、「一人でやっていて、誰に褒められるわけでもなくても自分がルンルンになれるもの。自分の居場所を自分で確保する」ということを、きちんとやらなければいけないんだと思う。
増田は空っぽなんだと思う 肯定して欲しい人の顔色を伺って肯定してあげることで自己肯定できてたみたいだけど、それって実はすごい簡単で、増田じゃなくてもできる単純なリアクシ...